明治維新後、日本は新たな国家を築くために模索していました。 西洋の近代化に追いつくため、使節団を欧米に派遣しました。岩倉具視を正使とした岩倉使節団(明治4年~明治6年、1871年~1873年)です。 アメリカやイギリス、フランスなど視察しましたが、あまりにも日本との文明の差が大きいことに、愕然としました。 当時の日本は、燃料は薪、明かりはロウソク、通信は飛脚、陸の交通は馬か人力、船は帆船でした。 ところが西洋は、燃料は石油・石炭、明かりは電気・ガス、通信は電気通信、陸の交通は鉄道、船は蒸気船です。 圧倒的な差がありました。 その産業の担い手は、国営だけでなく民間企業も多数占めていました。民間企業が自由に競争して、産業・経済を活性化させていたのです。 日本の使節団の誰もが、いきなり西洋をマネするのは不可能だ、と考えました。 いったい、西洋のどの国をモデルとしたらいいのか、悩みました。 日本と