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古代に関するainoutanoehonのブックマーク (7)

  • 古代の物語歌(二) 慈悲の物語歌

    歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回は最終回として古代の物語歌から、聖徳太子の飢え人についての歌をとりあげ、古代歌謡と和歌について考えます。 この物語歌について、出典著者の土橋寛は次のように述べています。 「片岡山の生き倒れを歌った歌を、宮廷で歌うような場はありえなかったと思われるのであり、(略)とすれば、法隆寺の法要などの折に、この片岡説話が語られるとき、この歌が夷振(ひなぶり)で歌われたものと解されるのである。」 また『万葉集』には和歌の姿で採られています。 ☆作品(原文と訳文) 『日書紀』104 十二月の庚午(かのえうま)の朔(つひたちのひ)に、皇太子(ひつぎのみこ)、片岡(かたをか)に遊行(い)でます。時に飢者(うゑたるひと)、道の垂(ほとり)に臥(こや)せり。よりて姓名(かばねな)を問ひたまへども、言(まを)さず。皇太子、視(みそな)はして飲(をし

    古代の物語歌(二) 慈悲の物語歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代の物語歌(二) 慈悲の物語歌。
  • 古代の物語歌(一) 悲恋の物語歌

    歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回と次回は古代の物語歌をとりあげます。 今回の物語は古代の同母兄妹の悲恋物語です。 ☆作品(原文と訳文) 天皇崩(かむあが)りまして後、木梨軽太子(きなしのかるのみこのみこと)、日継(ひつぎ)知ろしめすに定まれるを、 未だ位に即位(つ)きたまはずありし間(ほど)に、その同母妹(いろも)軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて、 歌日たまひしく、 あしひきの 山田を作(つく)り 山高(やまだか)み 下樋(したび)を走(わし)せ、 下訪(したど)ひに 我が訪ふ妹を 下泣きに 我が泣くを 今夜(こぞ)こそは 安く肌触れ。 <訳: あしひきの)山田を作り、山が高いので水を引くために地下水道を走らせる。 そのようにひそかにわが想う妹、こっそり泣いてわが慕うを、今夜こそ心安らかに 肌触れたことよ。> 此は志良宜(しらげ)歌なり。 また歌

    古代の物語歌(一) 悲恋の物語歌
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代の物語歌(一) 悲恋の物語歌。
  • 古代の芸謡(二) 乞食者(ほかいびと)の歌

    歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめなおしています。今回も古代の芸謡を前回に続きとりあげます。ただし宮廷で謡われた専門の語部(かたりべ)による芸謡ではなく、都市の一般の民衆を聴衆とした芸人である乞者(ほかいびと)が謡った芸謡です。 ☆作品(原文と訳文) おし照るや 難波(なには)の小江(をえ)に 蘆(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと。 何せむに 吾(わ)を召すらめや。 明(あき)らけく 吾が知ることを 歌人(うたひと)と 吾を召すらめや 笛吹きと 吾を召すらめや 琴(こと)弾きと 吾を召すらめや。 彼(か)も此(かく)も 命(みこと)受けむと 今日(けふ)今日と 飛鳥(あすか)に至り 立てども 置勿(おくな)に至り 策(つ)かねども 都久野(つくの)に至り、 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば、 馬

    古代の芸謡(二) 乞食者(ほかいびと)の歌
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    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代の芸謡(二) 乞食者(ほかいびと)の歌。
  • 古代の芸謡(一)「神語(かみがたり)」の長歌

    歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。記紀歌謡を中心とする古代歌謡のなかで、私がとても好きな歌謡を以前ブログ「古代歌謡。無韻素朴の自由詩。」に咲かせました。 古代歌謡という花々のなかでこの抒情恋愛詩は、次の歌と並んで同じ「芸謡」という丘に咲いています。 ☆作品(原文と訳文) 八千矛の 神の命(みこと)は 八島国(やしまくに) 枕(ま)きかねて、 遠々(とほどほ)し 越(こし)の国に 賢(さか)し女(め)を 有りと聞かして 妙(くは)し女を ありと聞こして、 さ婚(よば)ひに 在(あ)り立たし 婚ひに 在り通(かよ)はせ、 太刀が緒も いまだ解かずて 襲(おすひ)をも いまだ解かねば、 嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸を 押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば、 青山に ぬえは鳴きぬ。 さ野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む。 庭(には)つ鳥 

    古代の芸謡(一)「神語(かみがたり)」の長歌
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    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代の芸謡(一)「神語(かみがたり)」の長歌。
  • 古代の民謡、歌垣の歌

    歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。今回から作品そのものから、聴きとります。最初は古代の歌垣で謡われた民謡です。 ☆作品(原文と訳文) 歌垣の歌 霰(あられ)降る 杵島(きしま)が岳(たけ)を 嶮(さが)しみと、 草取りかねて 妹が手を取る 〈訳: (霰降る)杵島の岳が嶮しいので、(山に登るのに)草に取りつくことができずに、妹の手を取るよ。〉 高浜(たかはま)に 来寄する浪の 沖つ浪。 寄すとも寄らじ、子らにし寄らば。 〈訳: 高浜(地名)に寄せて来る沖の浪。(その沖の浪が)寄せて来ても、(私は)寄らないで、子らに寄ろう。 *子らは、娘たちをいう。〉 古代歌謡の母体には民謡があります。民謡はわかりやすく誰もが共感しやすい言葉、日常生活の俗な言葉で謡われますが、論理的な意味がつながらない、なんとなくわかるがつじつまは合わない歌詞も多くあります。 そのことについては、引用文献

    古代の民謡、歌垣の歌
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    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代の民謡、歌垣の歌。
  • 古代歌謡、表現形式の特徴(二)

    歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、句数(音数)から表現形式の特徴を考えます。 句数(音数)が奏でる音数律は、明確で厳格な頭韻や脚韻や口語韻の押韻規則をもたない日語の韻文においては、とても大切なものです。 これまで考えつくされたかのようにも思えたこの主題についての、著者の、歌謡という視点からの、ユーカラや琉球古謡という広く豊かな母体と照らし合わせた以下の考察には発見があり、深く考えさせられるものがあります。 「琴歌譜の譜曲あるいは口から採集したユーカラや琉球古謡を見れば、いかにも古代歌謡に省略記載の箇所が多く、」「残った歌詞のみで句数等を決定することは不十分である。奇数句偶数句の問題もくり返しが文字に記載されたか否かに決定権があるわけであり、5・7の短歌形式にさらに七音の一句を加えた歌体を有する「仏足石体歌」も最後の7音は唱

    古代歌謡、表現形式の特徴(二)
    ainoutanoehon
    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代歌謡、表現形式の特徴(二)。
  • 古代歌謡、表現形式の特徴(一)

    歌謡と詩歌の交わりの視点から、古代歌謡をみつめています。今回は出典の小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、古代歌謡の表現形式の特徴を考えます。 前回、古代歌謡は、「すでに音楽を失った古代の歌謡、換言すれば音楽が歌詞(文学)からは離れている歌謡」だと記しましたが、そのような歌謡をみつめ捉えなおす方法として、著者は、アイヌのユーカラ(Yukar)や琉球八重山古謡ユンタ、おもろさうしなどの、謡われる姿が今に伝えられた歌謡の特徴に照らしあて比較し考察していて、とても優れた方法だと教えられます。 私はアイヌのユーカラが好きで愛読してきましたので、その美しい言葉の響き、表現形式から照射された光が、古代歌謡の息づく音楽を蘇らせてくれる思いがします。 南島の音楽、奄美の島唄の声調の哀しさにも心ふるえますが、南島歌謡やおもろそうしについては別の機会に見つめてみる予定です。 著者が挙げている古代歌謡の表現形式の特徴

    古代歌謡、表現形式の特徴(一)
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    ainoutanoehon 2011/09/06
    たかばたけこうじ。高畑耕治の詩想。古典から現代までの詩歌、文学を詩人の感性で捉えるエッセイ。 古代歌謡、表現形式の特徴(一)。
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