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ブックマーク / melancholidea.seesaa.net (7)

  • がんばれよ、誰か: MELANCHOLIDEA

    どこに向けてんだかわかんないけどとりあえず私にも向かってくるがんばろうがんばろうというモスキート音の嫌さはなんだろうなと思ってたらあれだ。 三十人三十一脚の嫌さに似てる。 あれも嫌だと思う人とすてきなかんどうをありがとうな人にきっぱりわかれるしな。 私が三十人三十一脚が嫌いなのは「クラス一丸となって」とかいうウツクシーお題目の共有を強いられるからだ。 クラスの皆で参加を決めました個々人が力を発揮してみんなで心をひとつにして頑張りましょうみたいなストーリーになってるけどさ、やりたくないっつったらハブられんだろ。 学級会でマジョリティが「テレビに出るぞー」って盛り上がってんのにひとりだけやりたくないとか言えない圧力があるんだろ。(口に出してみればそう感じているのは一人だけじゃないと気付けるかもしれないけれど、黙っているなら孤立した一人の考えに過ぎない) やりたくなさを態度に出したら、それはそれ

    akIra
    akIra 2011/07/28
  • 善意は自由意志だから尊い: MELANCHOLIDEA

    今日の町は静かだった。 人はたくさんいる。たくさん歩いているし、駅にもたまっている。 そのわりに静かだと思ったら、店頭から流れる音楽が少ない。 いつも大音量すぎて聞こえない若者音楽を流している店が、12日からはずっと震災報道のラジオを流している。 明かりも少ない。 昼間から点灯する看板が減って、外側の照明は暗く、中だけ明るくしている店が多い。 臨時休業や早じまいも多い。 日のさす外側や窓際よりも内側のほうが暗いから、外の照明を消して中だけ明るくするのは合理的な判断だ。 でも、なんかポーズっぽいなとちょっと思った。 節電してますアピールをしなくちゃ許されないみたい。 人通りは多いのにたくさんのシャッターが降りた、栄えてるんだかさびれてるんだかわからない不思議な風景の繁華街の中で、ゲームセンターが一店舗だけ開いていた。 周囲の居酒屋やパチンコ屋は休業や縮小が多い。 私が寄ろうとしていた店は閉ま

    akIra
    akIra 2011/03/16
  • 必要なものを必要なだけ: MELANCHOLIDEA

    報道やネットの中で、「こんな状況でも暴動が起きない日は素晴らしい、譲り合いの精神がDNAに刻まれた日人は素晴らしい民族だ」みたいなのをチラホラみた。 そういう言葉を使うのはみんな非当事者だった。 非当事者としての感想の中にも「日人としてなにができるか」「被災地の人たちの立派な姿を日人として誇りに思う」などの言葉が出てくる。 ひどい状況の中でなんとか自尊心を保とうとする試みなのかもしれないけれど、やっぱり怖い。 なんでそこで日人ってところをキーワードにしちゃうの。 とりあえず日に住んでるのは日人だけじゃないんだけどな。 「すばらしい日人」から「じゅうごえんごじゅっせん」までの距離はたぶん近い。 物を譲り合ったり、並んで順番を待ったりっていうのは、待てば自分の順番が来るという日常をおくれる人の習性だ。 奪い合わなければ自分の番なんてこないのが日常なら、奪い取るのが習い性になる。

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    akIra 2011/03/16
  • かよわい雑草は塀の陰: MELANCHOLIDEA

    うっかり死なない って、大事だなあとすごく思う。 なんとなくで アレ?ってなっちゃうのは、けっこう簡単だ。 マイノリティが死んじゃうときの理由はひどい差別に限らなくて、 ちょっとしたときにふっと消えちゃうことが多いという話をきいた。 弱いからじゃなくて、根を張ることが難しいから。 強く「死にたい」と思わなくても、強い「生きたい」がないから、 意識して踏ん張らないと軽い風にもあっさり吹き飛ばされてしまう。 わざわざ故意に死ななくても、 自分に無頓着だと病気や事故にたやすくめぐり合える。 死なないようにつかまえておくものが、「自己肯定感」。 そんできっと、それを育むコミュニケーション。他者との関係。 別に濃くなくたっていいんだけど、大事にしたりされたりってやつ。 「死にたい」があるから死ぬんだろうと思ってた。 「生きたい」がないから死ぬという発想に目から鱗が落ちた。 そして納得した。 「生きる

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    akIra 2010/11/07
  • ビッグイシュー152号: MELANCHOLIDEA

    わりと近くで売っているのに、タイミングが合わなくて 買えずにいたビックイシュー152号をやっと買った。 10月1日発売の分。 ちなみに1日と15日の月2回発行だけど、 販売員さんに言えばバックナンバーも売ってもらえるみたいです。 152号はムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの記事があって、 しかもトゥーリッキ・ピエティラ(トーベのパートナーの芸術家で 「おしゃまさん(トゥーティッキー)」のモデルになった女性) にも触れられていると聞いて読みたかったんだ。 そこだけのために(あと表紙のムーミンに)飛びついて、 中を見たら特集は3ページだけだった…けど絵が可愛いからまあいいや。 内容は普通。 同性愛という言葉もきちんと普通に使って、 変な価値判断が入らない普通の「あの作家のエピソード」。 その普通の目線が貴重で安心できる。 で、まだちゃんと読んでいないんだけど他の部分も面白そう。 とりあえず特集

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    akIra 2010/10/15
  • 木に慣れるなら森: MELANCHOLIDEA

    「ごぶさたしてます、すみません」って言うのが苦手だ。 言葉自体じゃなくて、私が言ったり書いたりするとき限定。 不義理は方々にしまくっているけれど、それでも言いたくない。 私が顔を出さないのって不義理なの?居るほうが迷惑じゃね? 大嫌いな相手にも別れ際には「お元気で」と言うような、 ただの挨拶だとわかっていても言いにくい。 「お手間を取らせてすみません」なら言える。 その方が気が楽だけど、そんなんばっか言ってると あっというまに「生れて、すみません」にたどりついてしまう。 「役に立つ」より「迷惑をかけない」を重視する思考は 自分にも他人にもきっと良くない。 完璧に迷惑をかけない方法なんて存在しないことくらいだ。 でももう存在しちゃってるから死ぬのも迷惑だしねえ。 昨日は、コンビニでレジの人にカバンを褒められ、 道を歩いていたら同じ方向を行く人に天気の話をふられ、 バス停で待っていた人に夫の病

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    akIra 2010/10/04
  • 女子は女子だから女子なので女子しても苦しゅうない: MELANCHOLIDEA

    今年一発目の記事だけど、 あけまして云々と言うのも白々しいから言わないよ! (って言っちゃうよ!) テンションがおかしいのは久々だからですたぶん。 おさなごがわらわらといる場所へ行ったと思いなせえ。 幼児つうかまあ おおむね未就学児です。せいぜい齢ヒトケタ。 親御さんらは別室で何やらしているので、 十代二十代のおにーさんおねーさん及び子育て終了組のマダムが保育です。 (子育て終了ムッシュ?そんなUMAはいません) 泣かない子どもたちと楽しく遊ぶ優しい若者たちを にこやかに監督するマダムたちというなごみ空間。 おねえさんが幼児をあやしました。 マダム「やっぱり女の子は面倒を見るのが上手ねー」 いやあの人がうまいだけだと思うが褒め言葉だから好意的に解釈するよ。 女児が(マダムをよけて)おにいさんに遊んで遊んでとまとわりつきました。 マダム「小さくても女の子はハンサムなお兄さんが好きなのねー」

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    akIra 2010/01/15
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