少女時代のマリア・テレジア 婚礼の日の朝食 1717年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベト・クリスティーネの長女として誕生した。カール6世の最初の女子であり、両親は遥かヨルダン川の水で洗礼を受けさせたり、マリアツェル教会に黄金の子供像を奉納したりと歓迎した[2]。「小さなレースル」は母親譲りの輝く美貌を持ち、市民からの人気も高かった[3]。 それまでハプスブルク家はサリカ法に基づく男系相続を定めていた。しかし、彼女の兄が夭折して以後、カール6世に男子が誕生せず、成人したのもマリア・テレジアと妹のマリア・アンナ(マリアンネ)のみであったことから後継者問題が表面化してくる。 マリア・テレジアの結婚について、オイゲン公はバイエルンとの縁組を勧め[4]、また在ベルリンのオーストリア大使ゼッケンドルフ[5]やカール6世の侍従長バルテンシュタイン[6]らはプロイセン王太子フリー