寄稿 劇作家・石原燃さん 年末にまた嬰児(えいじ)の遺棄事件が起きた。 2022年に入ってから、20件目の事件だった。私がネットで検索して数えただけなので、見落としているものもあるかもしれない。いずれにしろ、氷山の一角だろう。コインロッカーベイビーが社会問題になったのは1970年代のことだが、その後、問題が解決したわけではなく、いまもこうして事件は起き続けている。 いしはら・ねん 1972年生まれ。性暴力、「慰安婦」問題など社会問題を描く。作品に戯曲「彼女たちの断片」「蘇(よみがえ)る魚たち」「白い花を隠す」、小説「赤い砂を蹴る」など。 こういう事件が起きるたび、事件そのものの痛ましさとは別に、ネットニュースのコメント欄やSNSの反応に気分が重くなる。一番多い反応は、逮捕された「女性」が反省しているかどうかジャッジしようとするもの。反省している様子なら非難する人は少なくなるが、「情報弱者」
フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造 「からかいの政治学」は今も? メディアにあふれていた「からかい」 ジェンダー・ギャップ指数世界120位の日本でも、すでに50年前に、ウーマンリブ運動(女性に押し付けられた性役割等からの解放を求める運動)があった。しかしリブ運動ほど、世間から嘲られた運動も、他にない。 1970年代当時の週刊誌等メディアの多くは、リブ運動や運動に参加している女性たちを、「揶揄」し、「からかい」、「笑いもの」にした。「『女・エロス』(当時のリブ系雑誌の雑誌名)に見る猛女史らの性感覚」(『プレイボーイ』、昭和49年2月12日号記事見出し)、「恐ろしやリブカレンダーの中身」(『アサヒ芸能』、昭和50年7月3日号記事見出し)といった具合に。 それから50年。状況は変化したのだろうか? 日本社会では、今日でもSNS等で、「フェミ叩き」があふれ
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