これまで多くのヒット作を世に送り出してきた小学館のマンガ誌「週刊少年サンデー」。今は、マンガ誌全体の部数も減る“冬の時代”だが、かつてのマンガ誌は、何もないところから黄金時代を作り上げた。そこで、同誌の初代編集長の故・豊田亀市(きいち)さんへの2008年の未発表インタビューを前後編で公開し、サンデー創刊の舞台裏を明かす。 ◇サンデー専属を断った手塚治虫 ――「サンデー」創刊の際、手塚さんを専属にしようとしたという伝説がありますね。 うん。有名な伝説だけど、本当の話なんだよ(笑い)。手塚さんに会いに行ったのは1958年の10月ころでした。 手塚さんは一番人気があるマンガ家だったし、彼の「マンガの質」は小学館に必要なものでした。その手塚を専属にしようと。それには当時10本前後やっていた連載すべての原稿料を払わなければいけない。計算してみると、相賀徹夫社長の月収よりも多くなるんだよ。それでも社長
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く