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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (5)

  • 萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記

    一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがスト

    萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記
  • たわわ - jun-jun1965の日記

    最近は見かけなくなったが、ひところ、『週刊プレイボーイ』あたりのヌードグラビアには、巨乳をさして「たわわ」という表現がよく使われていた。 「たわわ」というのは、果実などが豊かに稔って枝がたわんでいるさまを示す語で「枝もたわわに」と使うのだが、いつしか語源が忘れられて、果実そのものが大きく稔るのを「たわわ」というのだと思われている節がある。 うちの近所のブックオフは、『現代思想』は買い取るが『ユリイカ』は買い取らない。どうやら「文藝雑誌」は買い取らない方針らしい。だからうちでは「古川日出男特集」などはゴミと化す。それにしても金田淳子の『やおい原論』(仮)は毎号新刊予定に入っているが、いつ出るのだ。なんだか毎年のように、「来年は博士論文を書く」と言いつつ14年間にわたって書いていない(その後書いたことが分かった)教授のようだ。 『一冊の』九月号で橋治が、『源氏物語』は女の論理で書かれている

    たわわ - jun-jun1965の日記
  • 「遊星より愛をこめて」新事実 - jun-jun1965の日記

    「ウルトラセブン」第12話「遊星より愛をこめて」は欠番となっており、それは登場するスペル星人が「ひばく星人」とされ、被爆したために地球人の白血球を取りに来たという設定が、原爆被災者を怪獣にしているようだという抗議による。 ところでこのことは、1970年10月の『小学二年生』についていた付録「怪獣カード」にスペル星人があり、そこに「ひばく星人」と書いてあって、それを購読者の子供が原爆問題の運動家の父親に話したことから広まったとされており、事実そのころ再放送されていた「ウルトラセブン」では、12話は飛ばされている。 だが、先日ヤフオクに出ていた、1970年3月の『週刊ぼくらマガジン』の付録「世界の怪獣王・円谷英二」に載っている、ウルトラ怪獣一覧からは、すでにスペル星人は消されている。 もし1970年という年次が間違いでなければ、「小二」以前に、スペル星人は問題視されていたということになるが、私

    「遊星より愛をこめて」新事実 - jun-jun1965の日記
  • 大林宣彦「海辺の映画館」アマゾンレビュー - jun-jun1965の日記

    小谷野敦 5つ星のうち1.0 晩節を汚す 2021年3月10日に日でレビュー済み 美少女を裸にするのが好きだった映画監督が、晩年、世間から褒められたくて凡庸な平和主義に陥り、まんまと世間に褒められて死んだ。その集大成みたいな映画だが、なんで西郷隆盛みたいな右翼の原点を礼讃するのか、生きていたら訊いてみたかった。

  • なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記

    佐藤亜紀の「天使」という、藝術選奨新人賞を受賞した長編小説は、第一次大戦を背景に、超能力を持つ少年を描いた作品だが、半ばまで読んでも面白くないので、文春文庫版の豊崎由美の解説を読んでみた。するとこれは、美少年が貴族的美青年へ成長していくのを舌なめずりしながら読むという美少年趣味小説であるということが分かり、まあそれなら私が読んでも面白くないのは当然だなと思った。 だが不思議なのは、豊崎がそのように解説しながら、なぜ世間の文藝評論家はこの才能を理解しないのかと獅子吼していることで、今もやっているようだが、なんで美少年小説を文藝評論家が評価するいわれがあろうか。 なるほど佐藤は『小説のストラテジー』を読めばヨーロッパ文化に造詣が深いのは分かるし、文章も巧みに書けている。もっとも私は他の作家でも、こういう技巧的な文章は評価しないのだが。 私が大学に入ったのは1982年で、豊崎も佐藤もだいたい同

    なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記
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