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えびすかきに関するakakitのブックマーク (1)

  • 西宮の傀儡師④ | 妄想オムライス

    西宮操りの終末 やがて産所村にあった操り芝居の小屋は西宮札場筋の北、今在家に移され、天保の末ごろには操り小屋から普通の芝居小屋となり、逆にこれを借用して上演するようなことにもなり、たがてこの小屋も取りこわされてしまう結果となる。 また、明治に入って一時わずかに技を伝えた吉田吉五郎(通称、人形吉)芸名吉田伝吾は、技倆は相当見るべき者であって、十数人で一座を組織し、毎年、春秋に灘目一帯から三田・名来・昆陽・池田方面へ巡業していった。 はじめに「三番叟」を出し、つぎに「太閤記」、「朝顔日記」・「阿波の十郎兵衛」などのうちで得意とする段を演出した。浄瑠璃語りはその土地土地の者を採用した。 伝吾は明治十二年三月に七十歳で終わった。跡目はその弟子吉田小六(名、越木音松)が継承して、明治十四年、戎社の屋根替え完成祝いの時に境内で十日間も巡行したが、その後はとかく不振で、まもなく廃業したといわれている。

    西宮の傀儡師④ | 妄想オムライス
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