加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度 (文藝別冊) 出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2010/02/23メディア: ムック購入: 9人 クリック: 112回この商品を含むブログ (12件) を見る 先日刊行された別冊文藝『追悼加藤和彦 あの素晴らしい音をもう一度』に、論考メンバーの一人としてコラム執筆させていただいた。テーマは「テクノポップの遺伝子ープロデューサー加藤和彦の立脚点ー」というもの。加藤和彦とYMOが蜜月関係にあったヨーロッパ三部作(『パパ・ヘミングウェイ』、『うたかたのオペラ』、『ベル・エキセントリック』)の時代を中心に、故人とニュー・ウェーヴ・サウンドとの関わりについて書いてくれと依頼を受けたもの。拙者が取材してまとめた未刊行の関係者インタビューがあり、それを参考資料として一部に用いた、あまり知られていないエピソードを盛り込んだものとなっている。ユリイカの「初音ミク
たどりつけない対岸「イムジン河」 韓国・坡州市 2010年2月19日 落日のイムジン河。渡りたいのに渡れない人びとの情念だけが交錯する=韓国坡州市 赤みがかって荒廃した地表が、高倍率の双眼鏡に映しだされました。 韓国・坡州市の烏頭山統一展望台でのことです。ソウルから北へ、漢江に沿って高速道路をひた走って40分ほど。この展望台からは、イムジン河(臨津江)越しに北朝鮮が望めます。約3キロしか離れていない北朝鮮側の対岸を双眼鏡で眺め続けても、人影は、共同脱穀場らしき建物で動いていただけでした。 イムジン河はこの展望台の眼下で漢江と合流し、黄海へ流れこむ大河になります。北朝鮮南部の水源から約250キロのこの地はしかし、韓国と北朝鮮を分断する軍事境界線そのものなのです。 川の両岸には鉄条網のフェンスが張りめぐらされ、軍の歩哨所がどこまでも等間隔に立ち並びます。凍結した川面は一見して歩いて渡りきれそう
日本の音楽界に多大なる貢献をした加藤和彦さんに敬意を表し、関連3作品が緊急発売決定。 1971年リリースのシングル、「あの素晴しい愛をもう一度」をマキシ・シングルとして復刻。 カップリング曲の「僕を呼ぶ故郷」の他、「青年は荒野をめざす」「悲しくてやりきれない」の2曲をボーナストラックとして収録。 後世に歌い継がれるべき1枚としてリリース致します。 そして初CD化となるのは、1977年に発売されたアルバム『Catch-22』。 フォーク・クルセダーズから10年間の軌跡をたどる、自作曲で編集された22曲の集大成ヒストリー盤。 小倉エージ氏監修。 発売当時の2枚組みアナログ盤では、 [SIDE A] ザ・フォーク・クルセダーズ時代 [SIDE B] 第1期ソロ時代 [SIDE C] サディスティック・ミカ・バンド時代 [SIDE D] 第2期ソロ時代 という構成でしたが、初CD化される今
ジャパニーズ・シティ・ポップス講座 今回、HMV ONLINEでは、ジャパニーズ・シティー・ポップス講座を開講します。 講師にお招きしたのは流線形 クニモンド瀧口氏。 この人しかいないでしょう! 小難しいシティポップスファンすらもニヤリとさせてしまう、そのサウンドクリエイト。 そんなクニモンド瀧口氏にシティポップスの魅力を伝える10枚を選んでセレクト、そしてレビューをいただきました! これもニヤリのセレクトです。 まずは、流線形の新譜のご紹介から! 今回ももちろんシティーポップスファン必聴! 『ナチュラル ウーマン』 / 流線形と比屋定篤子 シティポップスファンの間で超話題となった『TOKYO SNIPER』から3年。山下達郎、吉田美奈子、リオン・ウェア、スティーリー・ダン 他をルーツに持ち、AOR、シティポップスファンをニヤリとさせるクニモンド瀧口氏のソロプロジェクト流線形のニューアルバ
音楽プロデューサー、加藤和彦さん(62)が17日午前9時25分ごろ、長野県軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。 戦後日本のミュージシャンに大きな影響を与えた加藤さん。音楽家としてのスタートは「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒット曲を生み出したフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズだった。 1967年に発売したデビュー曲「帰って来た−」は、ミリオンセラーとなり、一躍人気バンドの仲間入り。朝鮮半島の南北分断の悲しみを歌った「イムジン河」は、政治的配慮などから発売が中止になるなど話題を集めた。ソロ転向後は「あの素晴しい愛をもう一度」が大ヒット。同曲は現在も合唱曲として幅広い層から愛されている。 72年に結成したロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」には高中正義(56)、高橋幸宏(57)らその後の日本を代表するアーティストが参加。「一歩先を進
加藤和彦さん首つり自殺…うつ病が悪化 元フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」で、「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られる音楽家の加藤和彦さん(62)が17日、長野県軽井沢町のホテルで首をつっているのが見つかった。遺書があり、軽井沢署は自殺とみている。遺書には音楽的な行き詰まりへの悩みなどがつづられていた。加藤さんはうつ病と診断されており、1カ月ほど前から症状が悪化していたという。 加藤さんは17日午前9時半ごろ、浴室内で死亡しているところを署員とホテル従業員に発見された。同署によると、普段着姿で、着衣の乱れや外傷はなし。部屋には手書きとパソコンで打った部分が交じった関係者あての遺書が2通あった。持ち物のボストンバッグの中には衣類と携帯用スピーカーのようなものが入っていた。 同日午後2時すぎ、加藤さんと都内で同居する30代の知人女性と、マネジャーが本人であることを確
井筒監督沈痛「曲できへんねん」と… 2005年1月19日、「パッチギ!」の舞台あいさつに出席した井筒監督(左)、加藤和彦さん(右) 音楽家・加藤和彦さん(62)が17日午前、9時25分ごろ、長野県・軽井沢町のホテルで首をつって自殺しているのがみつかった。大ヒット映画「パッチギ!」などでコンビを組み、加藤さんと親交が深かった映画監督の井筒和幸監督(56)はデイリースポーツの取材に応じ、加藤さんが苦悩していた様子を明かした。10日前に加藤さんと会い、新作映画の音楽を依頼したが「(曲が)できへんねん…。『うつ』なんや」と語っていたという。 ◇ ◇ 「孤独な人やったんやな」。スタッフから知らせを受けた“盟友”の突然の死に、井筒監督は声を押し出すようにつぶやいた。 加藤さんに最後に会ったのは10日ほど前。すでに撮影が終了している新作映画の音楽監督を加藤さんが務めることになっており、その打ち合
「イムジン河は僕にとってはいつまでも青春の河ですね」と語っていた加藤和彦さん=2005年7月27日、米田堅持撮影 ◆「イムジン河」--加藤和彦さん<ザ・フォーク・クルセダーズ> ◇隣人への思い流れる純情--アジアにはいろんな問題が山ほどある。解きほぐしていくにはアジアに帰らないと 歌は思いもかけぬ伝播(でんぱ)力を持っている。「イムジン河」はとりわけ、そうかもしれない。平壌で生まれた歌曲が、ひょんなきっかけで京都の大学生グループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の心に届き、平和を願う歌として歌い継がれてきた。 グループのリーダーだった加藤和彦さん(58)に東京・銀座のホテルで会った。いまや日本を代表する作曲家、音楽プロデューサー、すっかりエグゼクティブな人なのに、やんちゃな顔がのぞく。さすが、アングラの元祖なんていわれてただけはある。 「大げさな意識を背負って歌ってたわけじゃないんです。あのこ
17日午前9時25分頃、長野県軽井沢町のホテル客室の浴室で、東京都港区六本木、音楽プロデューサー加藤和彦さん(62)が、ロープのようなもので首をつって死んでいるのを、従業員と軽井沢署員が見つけた。 目立った外傷はなく、室内には音楽全般に対する悩みなどをつづった遺書が2通残されていた。同署では自殺とみて調べている。 発表によると、加藤さんは16日、1人でホテルを訪れ、本人名義で宿泊。17日朝、加藤さんの知人女性(34)から、宿泊を確認する内容の電話があり、ホテルの担当者が内線電話をかけたが、応答はなかったため、軽井沢署に通報した。 捜査関係者によると、2通の遺書は、音楽関係者とホテルあてで、印字されており、宿泊前に用意されていた可能性が高いという。 ◇ 加藤さんは京都府生まれ。1965年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成、67年に発表した「帰って来たヨッパライ」で一世をふうびした。朝鮮半
加藤和彦さん死去「どうしたんや、おまえ」 ▼ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだったはしだのりひこ 自殺という2文字が全く似合わない男なので、「どうしたんや、おまえ」という思いが頭の中を駆け巡っている。もうずいぶん会っていないが、昨晩寝る前に、彼のことを思い返していたところだった。突然すぎて、何と言っていいのか分からない。 ▼音楽評論家富沢一誠氏 フォークソングからロック、CMソングまで、高い音楽性を持って、今で言うJポップというジャンルを切り開いた開拓者。ザ・フォーク・クルセダーズでのデビュー時から斬新な発想にあふれ、作り出す音楽はその後も常に最先端。細野晴臣さんや吉田拓郎さん、坂本龍一さんなどの後進を触発し、リードした。日本のポップス界の巨星が落ちたと言っても過言ではないだろう。
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