1970~80年代、多くのヒット曲を世に送り続けた巨星が、突然この世を去った。 大瀧さんが倒れたのは30日午後7時ごろ。警視庁福生署などによると、自宅で家族と食事した後だったという。119番通報で救急搬送される際には、すでに心肺停止状態だった。家族が周囲に「リンゴを食べていて、のどに詰まらせた」と話したとの情報もあるが、所属のソニー・ミュージックレコーズの発表によると、死因は解離性動脈瘤だった。 大瀧さんは1970年に細野晴臣(66)、松本隆(64)、鈴木茂(62)とロックバンド「はっぴいえんど」を結成。3年で解散したが、アメリカンポップスやロック、日本の歌謡曲などに影響を受けた高い音楽性で、その後の日本ポップス界を牽引した。 解散後の75年には「ナイアガラ」レーベルを創設し、81年発売の「A LONG VACATION」は当時としては異例のミリオンヒットを記録。「君は天然色」「恋するカレ
シンガー・ソングライターで音楽プロデューサー、大瀧詠一さん(65)=本名・大瀧榮一=が解離性動脈瘤(りゅう)のため急死したことが31日、分かった。代表曲「冬のリヴィエラ」を提供された歌手の森進一(66)は31日、NHK紅白歌合戦のリハーサル終了後、報道陣から訃報を聞き、驚きのあまりしばし絶句。「そうですか。びっくりしました。何年も会っていません。最近は作家活動をされていなかったみたいですね」と話した。 その後「いまも私にとって大きな宝物のような一曲です。(テレビ東京系)『年忘れ!にっぽんの歌』で大瀧さんの元に届きますよう、心を込めて歌わせていただきます」とコメントを発表。同曲を生放送で熱唱した。
松江市の島根県庁で16日午前1時35分頃、建物内にある時計約250台が一斉に止まった。職員らが確認し、針が同じ時刻を指す12時間後の16日午後1時35分頃に復旧させたが、原因は分からないまま。「ポルターガイスト現象ではないか」ともささやかれている。 県管財課によると、止まったのは本庁舎、南庁舎、分庁舎、議事堂別館の4棟にある時計。針が「1時35分」頃を指したところで止まっているのを、16日午前8時頃、登庁した職員が気付いた。 各時計は、本庁舎の電話交換室の親機から電波を送信し、時刻が自動設定される仕組みだが、親機は通常通り動いていたという。30~40年前に導入されたとみられ、同課は「これまで時間がずれることはあったが、一斉に止まったのは初めて」と首をかしげる。 県では、実施中の耐震工事や落雷の影響はないとみられることから「電圧異常」とみるが、詳しい原因は分からないといい、今後時計メーカーに
J1第34節(4日、仙台1−1川崎、ユアスタ)J1ベガルタ仙台のMF千葉とFW平瀬が、試合後の引退セレモニーで涙のお別れあいさつを行った。平瀬は出場機会に恵まれなかったが、最初にマイクの前に立ち「ぼくの背番号14を赤嶺君に渡したいと思います」と8月中旬にFC東京から期限付き移籍したFW赤嶺真吾へ、ベガルタ完全移籍を願うユニホームの譲渡宣言。チームの行く末を鹿児島実業の6年後輩に思いを託した。 後半25分に途中出場した千葉は、奥山恵美子仙台市長から記念の盾を贈呈され、書いてきたメッセージを読み上げた。最後は「ぼくという人間を育ててくれたベガルタというチームを5年後、10年後も変わらず愛し続けてください」と締めくくり、平瀬と同じく15年間の現役生活を終えた。試合結果へ
2009年度のJFL入れ替え戦第2戦が19日、ウエーブスタジアム刈谷で行われ、地域リーグ3位のツエーゲン金沢がJFL17位のFC刈谷と引き分け2戦合計2−1で勝利し、発足4年でのJFL昇格を決めた。 第1戦を1−0で勝利し優位に立った金沢はゴール前を固めてのカウンター狙いに徹した。幾度も決定的な場面を作られるが何とか無失点に抑え、迎えた前半31分、GKからの素早いカウンター攻撃から根本がミドルを決め先制した。 JFL残留に3点が必要となった刈谷は、元東京ガス(現FC東京)で活躍し、今年コーチから選手に復帰したFWアマラオを中心に怒涛の攻めを展開。後半42分に日下がFKを決め同点とするが、ゴール前を固めた金沢DF陣を最後まで崩せず地域リーグへの降格が決まった。
音楽プロデューサー、加藤和彦さん(62)が17日午前9時25分ごろ、長野県軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。 戦後日本のミュージシャンに大きな影響を与えた加藤さん。音楽家としてのスタートは「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒット曲を生み出したフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズだった。 1967年に発売したデビュー曲「帰って来た−」は、ミリオンセラーとなり、一躍人気バンドの仲間入り。朝鮮半島の南北分断の悲しみを歌った「イムジン河」は、政治的配慮などから発売が中止になるなど話題を集めた。ソロ転向後は「あの素晴しい愛をもう一度」が大ヒット。同曲は現在も合唱曲として幅広い層から愛されている。 72年に結成したロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」には高中正義(56)、高橋幸宏(57)らその後の日本を代表するアーティストが参加。「一歩先を進
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