太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年9月、皇居(東京都千代田区)内に22カ所の防空壕(ごう)が完成していたことが、朝日新聞社が宮内庁に開示を求めた資料でわかった。主に職員用だったとみられ、赤坂離宮(港区、現・迎賓館)にも14カ所造られていた。「簡易防空壕」と表記されているが、一部の工事仕様書から、内部を厚さ約2.5センチの板で囲い、防毒幕を張った充実した構造だったことがうかがえる。 開示された資料は、宮内省(当時)が作成した「防空関係工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」と「工事録 内匠寮」。「防空関係工事録」中の文書には、皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要と記されている。開戦の9カ月前の41年3月3日に決裁されていた。 さらに、同年9月に工事が完了したことを示す文書もあった。それによると、皇居内にできた防空壕は予定より一つ多い22カ所。地下式と横穴式の2種類で、1