トーマス・エジソンよりも、よりリュミエール兄弟が、「映画の父」として我々に親しまれるのは、その発明時のいきさつや進化の過程、その妥当性というよりむしろ、彼らの芸術的感性が、現代の「映画と呼ばれるもの」に非常に近いところにあったからだと思われる。 観客がパニックに陥り客席から逃げ出したという『列車の到着』は、映画の黎明であったと同時に、人々の恐怖や興奮にうったえる「アクション映画」の始まりでもあった。 記念すべき「アクション映画」が、列車を題材にスタートするというのは、非常に示唆的だといえる。 映画を美学的なものとしてとらえたとき、その特長…つまり、現実のパースペクティヴと、現実の運動を、これ以上ない写実的正確さで平面に再現することが可能なのだ…ということを明示し表現するうえで、「列車」という題材ほど、それに適ったものはなく、また、そこに直感的に気づいたリュミエール兄弟の感性にも驚かされるの