今回の原稿は「押井守がこれまでアニメ界においてどのような位置にあったか」という点の概説として依頼されたものである。 さて、それを語るにどこから始めるべきだろうか。 押井守がアニメ業界に入ったタイミングだとすれば一九七七年まで遡らなければならないし、出世作であるテレビアニメ「うる星やつら」の放映開始ならば一九八一年、同じく(商業)映画初監督作品の「うる星やつら オンリー・ユー」の公開時なら一九八一年となる。 しかし、この文章を読む多くの人が意識しているように、押井守の「映像作家」としてのスタートはやはり「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」(以下「B・D」と略記)と見るのが妥当だろう。他方、「攻殻機動隊」の成功によって押井守が(一応)国際的映像作家となってからは押井守が種々の媒体に登場する機会が飛躍的に増え、それ以前のように「知る人ぞ知る」に近い存在ではなくなった。何より、時代が新しく