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グループで問題が発生したり、同僚が問題に直面していている時、「自分なら正解を知っているのに」と思うことがある。あるいは、周りの人が効率悪い作業をしていると、「自分は改善策を知っているのに」と思うこともある。それでも、あえて教えずに黙っている方がよいことがあるものだ。知恵の出し惜しみでも意地悪でもない。正解であっても口出ししない状況をわきまえることで、より広い視野から見て効率が上がることもあるからだ。 正解が相手を混乱させる可能性がある時 車を運転していて道に迷った時、助手席の人から「あっちの道だ、いやこっちの道だ」とタイミングを外して言われると運転の妨げになる。まして指示をする人が2人いて、違ったことを言えば運転手はさらに困惑し、危険なことにもなりかねない。 会議でもプロジェクトを進めていく時でも、似たように滑稽なことが起きる。こうした場合、自分が正解を知っていても、主導者やその他のメンバ
渡部昇一さんの知的生活の方法 (講談社現代新書 436) に忘れがたいエピソードがあります。著者がドイツで研究をしていた折、指導してくださっていた先生からカード方式で情報をまとめて、思考を整理することをすすめられたというくだりです。 そのようなとき、また先生のお宅に夕食に招かれた。夕食前には論文の進み具合についての訊問があったが、私がまだもたもたしていることに気づかれた先生は、「一つ君に提案しようか」(Darf ich lhnen einen Vorschlag machen?) といわれて、カード方式をすすめられたのである。このときの Vorschlag (提案)という単語の発音が今でも印象深い。 いまでも、断片化して収拾がつかない思考をカード方式でまとめることには意義があります。PoIC などはこの冠たる例ですし、私もいまも引き出しに数千枚のカードを常備しています(買いすぎ…)。 でも
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