内田樹の日記に、今度出る『街場のアメリカ論』について書かれてあった。しかし、このエントリーの内容は、狡猾というかなんていうか、本人が言うとおり腹が立つのだけど、腹を立てることが内田樹の手の内にあるというので、二重に腹が立ち不愉快な思いをする。 あらかじめ批判を封じ込めてしまう、あらゆる言説を相対化(「絶対」などないのだから)してしまう戦術など、ポストモダニストの遣り口そのものだ。こういう梯子外しに苛立ち、立ち位置争いのメタゲームへの批判があると思うが、内田樹の今回のブログを読んで、いかに梯子外しが保身のための狡猾な戦術であるかがよく分かった。メタゲームが批判されるのも、もっともだと思う。 率直に言えば、内田樹の言説は悪質だと思う。悪質と書くと人格攻撃しているみたいで誤解を生んでしまうが、人格攻撃は私の意図するところではない。言説の悪質さ狡猾さが問題なのだ。そして、言説が悪質であることが、人