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個人blog記事と:夏目漱石に関するakihiko810のブックマーク (4)

  • 『三四郎』の美禰子 --不信とシンパシー-- | 近代文学、SF小説、ジャズ、そしてゴスペル - 楽天ブログ

    『三四郎』の美禰子 --不信とシンパシー-- --漱石中期作品-- 漱石は中期三部作において「愛」をテーマとした。その中で描かれる女性像というものは、その当時流行であったノラのような女性、近代自我に目覚めた女性を題材に取ることもあった。しかしその質は「恋愛」というより、人間の実存や人生の問題に関わる深いところにあった。幼い頃の母親への渇望、また青年期の父親(家)との葛藤を通過した漱石は、幼子として、また息子として、また夫として、アイデンティテイが求める女性の元型というものを小説上で展開した、とみることができるのである。 (13)『三四郎』の美禰子 --不信とシンパシー-- その1 ○作品の連続性と自立性 稿では、漱石の作品を大まかに書かれた順に追っているが、漱石の作品を時代順に追う際に、ひとつの問題が生じてくる。作品を順番に並べるのは、作品のそれぞれが不安から問題解決に至る過程を示した

  • 小谷野敦「『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新潮新書 2009年4月 漱石の『こころ』を論じたものではなく、副題のように、どのような文学作品を薦めるかを示したものである。 小谷野氏の読書量は驚くべきもので、前の『里見紝伝』でも里見氏の全作品を読んだといい、そんなことは「時間さえ掛ければ誰にもできる」とこともなげに書いていたが、書でも「十年くらい前からは、意図的に、未読の古典名作を読むようになり、たいていは読み終えたのではないかと思っている」と書いている。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士・三氏による『文学全集を立ちあげる』(文藝春秋 2006年)などを読んでも、なんでみんなあんなにたくさんを読めるのだろうと思う。何もせずに朝から晩までを読んでも一日3冊、年に千冊ではないだろうか。十歳から七十歳まで読んでもたったの六万冊である。もちろんばかり読んで暮らすわけにはいかない。実際には一生かかって一万冊がやっとではないだろうか? 同じを二

    小谷野敦「『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 原國人『謎解き森鴎外』より - 古典ニューロン

    2014-11-23 原國人『謎解き森鴎外』より 迂闊なことに、最近まで私は、森鴎外の『舞姫』が『うたかたの記』『文づかひ』とともに「独逸三部作」(あるいは「帰朝三部作」)をなしているということを知らなかった。kindle版の『鴎外大全』で初めて『うたかたの記』『文づかひ』を読んだのだが、正直言って、この「独逸三部作」をどう読めばいいのか、私にはよくわからなかった。エキゾチックな異国のロマンス、あるいは、狂気にまで至りかねない人間精神や情熱の危うさというテーマを描いた作品群といった印象を受けた程度である。 ところが、原國人『謎解き森鴎外』(2014年)を読むと、これらの作品を、日の王朝文学(特に日記文学や物語)、さらには藝能(能や謡曲)の世界の伝統を受け継ぐものとして捉える読み方が提示されていて、吃驚した。 たとえば『舞姫』は、「近代小説」である以前に、『土左日記』や『伊勢物語』、『

  • 第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚

    http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/top.html - 文学コース 講義ノート 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。 漱石はなぜそんなに有名なのか 明治40年頃、自然主義文学の隆盛。 大正5年(1916)年、満49歳で没。 38歳のとき作家活動を開始した。作品数は少ない。 岩波書店は、最初に 『こころ』 を出した。その後、『漱石全集』 を出版。岩波が左翼出版社になったのは戦後。 漱石の小説には 《性》 が出てこない。田山花袋、永井荷風等とは対照的。 中流の一般市民が安心して読める。 毀誉褒貶が激しい。軽文学といわれた。 『道草』 は私小説だが、漱石が私小説を書くわけがないと言われた。 漱石の弟子 長塚節(ながつか たかし)……『土』 森田草平……平塚らいてうと心中未遂事件を起こ

    第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚
    akihiko810
    akihiko810 2009/05/19
    ] こころの「先生」夫婦はセックスレスか。
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