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ブックマーク / mkamiya.jugem.jp (3)

  • 苫米地英人『苫米地英人の金持ち脳 捨てることから幸せは始まる』 | つぶやきコミューン

  • 古市憲寿・國分功一郎『社会の抜け道』(2) | つぶやきコミューン

    2.地図作成の行程 第1章 IKEAとコストコへ行ってみたは消費社会のあり方をめぐる対話である。その場の感想、経験された諸外国の実情との比較の中で、浮かび上がってくる現在の日の社会における消費を、郊外にできた巨大ショッピングモールを目にしながら語ろうとする。ショッピングモールを訪れる目的は、二つあり、一つはものを買うという消費のため、もう一つは経験のためである。こうしたショッピングモールとは、ある意味「公共」の場を提供しているものではないか。國分氏は、消費と浪費の区別にこだわる。消費とは、つくり上げられた記号によって駆り立てられる行為であり、そこから逸脱した浪費とは異なるものである。安さも記号であり、一種の消費である。北欧では、消費社会が提供するようなエンターテイメントはほとんど存在せず、自然の中でのピクニックや事を楽しむのが主流である。フランスは理性の国であり、大人になれという同調圧

  • 國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(1) | つぶやきコミューン

    JUGEMテーマ:自分が読んだ 文中敬称略 國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)は、この国で出版されたドゥルーズに関する著作の中で最も優れた包括的論考である。 それが優れているのは、単にドゥルーズを哲学の一つの様式としてとらえるのではなく、哲学における思考そのもののあり方を問うからである。同時に、ドゥルーズを理解することが単なる学問的な議論に終わることなく、われわれの置かれた社会とのかかわりを定義しなおす行為へとつながっているからである。きわめて精緻な國分功一郎の知の営みは、哲学の力を密室に閉じ込め奪うのではなく、外気の中へと、都市へあるいは森の中へと、解放する営みでもあると言えるだろう。 1.ドゥルーズの哲学を語る上で最も重要なのは、そこで語っているのは誰かという語る主体の賓位の問題である。第Ⅰ章の「自由間接法ビジョン」において、國分はアラン・パディウの問いを取り上げる

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