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ブックマーク / daen.hatenablog.jp (3)

  • TAP / グレッグ・イーガン - 誰が得するんだよこの書評

    究極の言語というものが、もしあるとするのならば、それはどんなものになるだろうか。それは「ことばでは言い表せない感動」とやらも、容赦なく言語化してしまうものになるだろう。人間が感じうるありとあらゆる感覚/情動、そのすべてのパターンを正確に言語のかたちに換言してしまうのだ。人間はほとんどの情報を体感するが、言語を通した情報だけは「体感を抜きにした認識」ができる。すばらしい風景の描写を読み、そのイメージに酔いしれることもできる一方で、その描写が言わんとしていることをただそのまま理解するという乾いた認識もできる。究極の言語を手にした人は、ありとあらゆる経験を正確に認識してしまうのだろう。しかしその正確性ゆえに誤解や誤読が一切できなくなってしまうのだから、今までなあなあでやってきたところができなくなってしまい困るかもしれない。 表題作はいつものイーガンです。安心の面白さ。似たような話では長谷敏司「あ

    TAP / グレッグ・イーガン - 誰が得するんだよこの書評
    akihiko810
    akihiko810 2010/09/11
     グレッグ・イーガン「ユージーン」 >実存から引き篭もるって。どんだけヒッキーなんだよ。
  • 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評

    どうなるんだろう。 というわけで、ニーチェ「善悪の彼岸・道徳の系譜」の解説です。ニーチェは哲学や政治学をやるのなら必読だと思うのですが、いかんせん文学的な表現が多すぎて何を言っているのかよくわかないと投げ出す人もいるんじゃないですかね。というわけでニーチェの思想で一番使える「相対主義」にしぼって説明します。 通常の哲学とニーチェの哲学の違い 哲学は形而上学とも呼ばれています。メタフィジカルな学問だというのです。つまり物理的・現実的(フィジカル)なことにたいしてどのように人間が取り組むかという、現実(フィジカル)より上位(メタ)の構造・ルールについて研究するのです。たとえば、人間の肉体がどのような仕組みで動いているかというのはフィジカルな話ですが、人間はどのように生きているのか・どう生きるべきなのかというのは、メタフィジカルな話です。 さて、ニーチェがやっているのは通常のメタフィジカルな話で

    「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評
    akihiko810
    akihiko810 2010/05/05
     >「《真理》性のように議論しても無駄なテーマは考えるな」「自己ルールの再編により個人的幸福を得るべき」
  • 告白 / 町田康 - 誰が得するんだよこの書評

    実際に起きた殺人事件「河内十人斬り」をモチーフにした大傑作。町田康は初めて読んだんですが、今までスルーしてきた自分を蹴飛ばしたくなりました。京極夏彦のような深くて思弁的な心情描写が、舞城王太郎の軽やかな文体で語られた、といった感じ。京極夏彦「嗤う伊右衛門」のような常人を突き放した美学ではなく、筒井康隆「家族八景」 「底流」(「あるいは酒でいっぱいの海」収録)のような下卑た思考の垂れ流しなんですが、清濁併せ呑む筆致は大変リアリティがあります。 文章それ自体の魅力が半端じゃなく、自分にとっては理想的な文体でした。ギャグめいた笑いを取りつつも、徹底した鋭い描写を心がけ、その描写の凝り具合がまた笑いを生むという、エンタメと文学性の幸福な両立。たとえば「熊太郎は嬉しさのあまり踊ってしまった」という文もこの筆者にかかれば、次のようになります。 熊太郎は嬉しくてたまらず、足をばたばたさせつつ、両肘を脇腹

    告白 / 町田康 - 誰が得するんだよこの書評
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