岡田斗司夫の『遺言』を読んだ。 前に『オタクはすでに死んでいる』への助走(1)〜(10)(まとめは2010-02-07 - もうれつ先生のもうれつ道場)という続きものを書いたのだけれど、『遺言』は『オタクはすでに死んでいる』の問題だった部分をクリアしたような、ヴァージョン・アップというのじゃないけれど、そんな印象を受けた。 『オタクはすでに死んでいる』はオタク世代間のコミュニケーション・ブレイクダウンをメインに据えていて、そこにデータの不備や粗雑な論旨展開重なり異見のあるところが多い。『遺言』の場合岡田斗司夫のスタート地点から書かれていて、ギャップは庵野秀明ら「クリエイター」対岡田「プロデューサー」だったり、頭の固い先輩SFファン対物知らずの若者(岡田)だったりする。つまり『遺言』だから自分語りしているわけで、それが『オタクはすでに死んでいる』との違いとなっている。 『オタクはすでに死んで