『神聖喜劇』読了の余熱のなかにいまも佇んでいる。文章を書くと、つい、パーレン(この丸カッコのこと)のなかに補足説明をしたり、自分の書いた文章をカギカッコで引用したり、と大西巨人的文体にどっぷりと浸っている。影響を受けやすいんだね。才子ならねど軽薄なり。わたしだけかと思ったら、河出から出た『大西巨人――抒情と革命』に千野帽子さんもそう書いていた。恐るべし、大西巨人的文体の伝染力。近々『日本人論争――大西巨人回想』も出るので、この熱はしばらく醒めそうにない。以下に書くのは、その余熱のなかで考えた由無し事である。 「エディターシップ」(Vol.3、日本編集者学会)という冊子に、井出彰氏が「「日本読書新聞」と混沌の六〇年代」という文章を寄稿している。セミナーでの講演を文字に起こしたもので、なかなかに興味深い内容だったが、ひとつ、肝銘を受けたエピソードを紹介しておきたい。 大学生が「日本読書新聞」を