藤原ヒロシを、人はストリートウェアのゴッドファザーと呼ぶ。彼が首を縦に振れば、Supremeも嫉妬するほどの行列ができる。過去の肩書は列挙にいとまがない。だからここでは、単にルネサンス的教養人/救世主と呼ぶことにしよう。 藤原ヒロシは、日本で最も神聖とされる神社、伊勢神宮から目と鼻の先のところで生を受けた。伊勢が辺鄙な田舎であるために、我らのヒーローがそこで退屈し、刺激を求めて地平線へ目を向け始めたことに、私たちは感謝すべきだろう。当時は、パンクロックが花盛り。状況が許すやいなや、彼はロンドンへと向かう。痩せた男の子が、おそらくマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)といっしょに写っている、1983年頃の写真がある。厳格なルールとビジネスが最優先する国からやって来たヒロシは、違う種類の活力に飢えていた。そこで、ふたつの島国を往来しながら、カルチャーのパイプ役を務める開拓者に