お葉 1904年 - 1980年、76歳死去。秋田県出身、本名:永井カ子ヨ(かねよ)。大正5年12歳の時、母と二人で上京し、母は納豆売り、カネヨは人形工場で働くが生活は徐々に緊迫していき、モデルになり、伊藤晴雨、竹久夢二、藤島武二ら作品のモデルをつとめ、その後に医者と結婚し、晩年まで平穏にくらす。 東京で貧しい生活を送るカネヨをモデルにスカウトしたのは宮崎モデル紹介所であった。この宮崎モデル紹介所の社長、宮崎菊こそ日本初のヌードモデル。外国人画家に対し明治10年(1871年)に25歳の時モデルを務めている。当時、西洋画を目指しヨーロッパに留学した日本の絵描きたちは人物画には裸体デッサンが不可欠であることを知るが、日本に帰ってから裸体モデルを求めようにもきわめて困難を極め、ほとんど着衣のモデルを使用。プロのモデルは一人もおらず、多くの画家たちは妻や愛人をモデルとした。絵画のモデルはその多くが