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2012年12月28日のブックマーク (5件)

  • 錦(にしき:金色)の織物 - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十三章 (独自の超訳) あえて行動するのに勇敢な者ほど殺され、あえて何事にも消極的な者が生かされることがあります。 この両者それぞれにとって、ある意味では利益が有り、ある意味では害が有ります。 天界が何を悪と判断するのかは、誰もその答えを知ることが出来ません。 これは聖人でさえも難しくて知ることが出来ません。 天の道とは、争わないでも上手に勝ち、 言葉を使わずに上手に体験で教え、 招待せずとも自ら自然に来させ、 ゆったりとしていながらも自然に物事を達成させます。 天界が、悪人を捕まえる網の目が大きくて漏れが出るように人間には思えますが、 どんな悪人も絶対に取り逃がすことがありません。 原文 「勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。 天之道、不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。 天網恢恢、疏而不失。」 (感想) 老子の言葉

    錦(にしき:金色)の織物 - 伊勢ー白山 道
  • 自分のことを叱ってくれる人間は貴重です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十四章 (独自の超訳) もしも民衆が悪政治により圧迫されて死ぬことも恐れなくなれば、どうして死刑によって民衆を脅すことが出来ましょうか。 たとえ民衆が常に死を恐れているとしましても、もし悪事を働く者がいれば、私が捕まえて死刑にすることが可能ですが、誰が自ら進んで他人の死刑を執行することが出来ましょうか。 常に人間の生死を司る大いなる存在がいて、人間に死をもたらすものなのです。 その生死を司る大いなる存在に成り代わって、人間の判断で他人の死刑を執行するということは、 これは熟練した職人に成り代わって素人が木を削ることと同じなのです。 このように熟練工に成り代わって木を削る者は、自分自身の手に傷を負うことに成ります。 原文 「民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。 常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。 夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。」 (感想)

    自分のことを叱ってくれる人間は貴重です - 伊勢ー白山 道
  • 自然な流れで生きること - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十五章 (独自の超訳) 民衆が飢えるのは、そこの支配者が税金を多く取り過ぎるからです。これこそが飢える原因です。 民衆が平和に治まらないのは、そこの支配者が間違った政策をするからです。これこそが平和に治まらない理由です。 民衆が人の死を軽んじるのは、そこの支配者が自分たちが生き残ることばかりを重視するためです。このために民衆は他人の死を軽視します。 つまり、生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます。 原文 「民之飢、以其上税之多、是以飢。民之難治、以其上之有爲、是以難治。 民之輕死、以其求生之厚、是以輕死。 夫唯無以生爲者、是賢於貴生。」 (感想) 「生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます」 これは色んな物事にも言える真理だと感じます。 「御金に執着す

    自然な流れで生きること - 伊勢ー白山 道
  • 弱いと思える人ほど、強い人です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十六章 (独自の超訳) 人間が生まれた時は、肉体が柔らかくて、しなやかです。 しかし、人が死んだ時には、堅くてこわばっています。 草や木や万物も生まれた時は柔らかくて弱いですが、これが死んだ時は枯れて堅く成ります。 だから、堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです。 以上の理由で、強い武器に頼る者ほど相手に勝てず、木も堅く強いほど逆に折れやすく成ります。 つまり、強くて大きな存在ほど下層になり、柔らかくて弱い者ほど上座に居ることに最終的には成ります。 原文 「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。 故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。 是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。」 (感想) 「堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです」 この老子の言葉は、色んな意味で何にでも言えると思います。

    弱いと思える人ほど、強い人です - 伊勢ー白山 道
  • すべては水平に戻されます - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十七章 (独自の超訳) 天界が行う方法(道・真理・法則)とは、弓に弦を張るときと似ています。 高い所は押さえ込み、低い所は持ち上げます。 弦の長さに余りがあれば短くし、弦が短くて足らなければ継ぎ足して補います。 天界の方法とは、このように余ったものを減らして、足らないものを補うのです。 しかし、人間が行う方法はそうではなくて、足らない方を更に減らして、有り余る方に奉納してしまいます。 どんな人物が、自分の有り余るものを社会の困る人々に奉仕するのでしょうか? それは道徳心を身に付けた者だけが、これを出来ます。 だからこそ聖人は、何かを成し遂げても要求はせず、大きな功績を上げてもそれに安住はせず、 自分の賢さを他人に見せることを嫌がります。 原文 天之道、其猶張弓與。者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。 天之道、損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。 孰能有餘以

    すべては水平に戻されます - 伊勢ー白山 道