タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/isehakusandou (116)

  • 臨機応変に生きること - 伊勢ー白山 道

    「自分の心しだいです。心しか存在しません。」(2011-06-28) ある有名社長さんの名言集に「小さいことに、くよくよしろよ!」という言葉があるそうです。何かを成し遂げるための「明るい心」には、たしかに言える言葉だと思います。 何かを発明したり開発するときには、小さいことへの「こだわり」が無ければ、良いものが出来ないでしょう。 織田信長を観ましても、豪胆さばかりが誇張されていますが、実際には異常に細かいことが心配に成る人物だったと感じます。一般の人が思いも付かない細かいことを考え、心配し、しまいには爆発してしまう神経症的な面があったと感じます。そうかと思えば、とても柔和な風流を好む人物でもありました。 何かを成し遂げる、この世で成功するには、小さなことにも向き合い、悩むことが必要だとも言えます。 ところが、後ろ向きな人間に対しては、「くよくよしろよ!」とは正しく無いです。 何かを生み出す

    臨機応変に生きること - 伊勢ー白山 道
  • 本当の自分と一体化することがエッセンス - 伊勢ー白山 道

    ピアニストや弦楽器などの素晴らしい音楽家の演奏を聞きますと、その演奏家の脳内には観客の存在がまったく消えており、楽器と一体化していることを感じることがあります。 逆に音楽だけを聞きまして、演奏者と楽器が一体化していると感じた音の演奏者を調べますと、名の知れた人物であることがあります。 また逆に演奏者が、観客に聴かせる意識、聞かせたい気持ち、観客を意識した音楽とは、私にはゲップが出るような重たさを感じさせることがあります。 ニューミュージックなどのショー音楽の場合は、観客を意識した演奏が良いのでしょうが、インストゥルメンタル(楽器音楽)の場合は違うと感じます。 だから、楽器演奏者で緊張する人や、上がり症の人は、まだまだ観客を意識している段階であり、楽器との融合にはほど遠い次元です。 霊的には、人物と楽器が一体化するとは視覚的にも起こることであり、脳内では人の姿が消えて楽器だけが大きく視える感

    本当の自分と一体化することがエッセンス - 伊勢ー白山 道
  • 「結果」よりも「過程」がすべて - 伊勢ー白山 道

    「それ、今だよ今」(2011-06-23) この二千年間、悟り、意識の目覚め、求道、・・・などについては、多くの無数の人々が持論を述べてきました。 しかし、ではその行き着いた後は、何をするのか?については述べられていないし、注目もされてきませんでした。 登り詰めるまでの過程などは、個人的な幻想とも言えます。目に見えない過程であり、その是非もハッキリしないものです。 悟ったと自称するならば、その後に、その人がどう生きたのか?何を他人にもたらしたか?という見える実績は、誰の目にも明らかであり、比較することが可能です。 まさか、会費を集めることが覚醒者の仕事では無いのは確かです。宗教の世界でさえも、その後に何をするのか?の視点が大きく欠落しているのです。 つまり、人間の性質として、勉強、結婚人生でも、それを達成するまでの過程の研究や方法論は欲しがるのです。 しかし、達成した後に「どう生きるのか

    「結果」よりも「過程」がすべて - 伊勢ー白山 道
  • 自分で改善が出来ます - 伊勢ー白山 道

    「配慮が出来れば、恐れるモノは無い」(2011-06-22) 九州方面の大雨被害が報道されていました。500mm、1000mmという数字が印象深いです。今後は累計値ではなく、短時間での数値にならないことを思うばかりです。過去に例を見ない、極端な異常気象への注意が大切な時節に入っていると感じます。 最近の雨は、なぜか太平洋側ばかりに集中している感じがします。日列島を縦に半分にしたように、片側に大雨が集中しているようです。 コノ世では、事前に想定出来たことは、起こり難くなる法則が現実界に在ると感じます。 そう、心の準備。 いま問題にされています、想定外と想定内。この違いは大きいですね。 千手観音様の手を見ますと、たくさんの物を握られています。何でも準備しているので、誰でも助けますよ~と燃えているのでしょうか。 要は自分のためではなく、他者を救うために、観音様自らが準備をされて構えておられるの

    自分で改善が出来ます - 伊勢ー白山 道
  • 努力した上での「お任せ」が大切です - 伊勢ー白山 道

    「時の経過を利用すること」(2011-06-21) 3・11の大震災の時、東京のビル群は大きくしなるように揺れていました。しかし、ここ数十年以内に建造されたビルは、1つも壊れていません。 このことが海外でもニュースになっていました。日の建物の耐震性は凄いと評価されていました。 ビル自体が揺れることを計算した上での建て方であり、揺れることで力を分散させています。近年の免震構造(耐震ではなく)のマンションに至っては、部屋にいても揺れをほとんど感じなかったと聞きました。 これは、私たちの心にも言えるのではないでしょうか? 私たちも、心に精神的なショックを受けた場合、その衝撃に歯をいしばって「なんとか頑張ろう」と思うよりも、心が揺れるままに「すべてを静観して見よう」と思う方が、いろんな意味で最善なことが多いのです。 この世では、時を経る、体験する、という手順を通過しないことには、ダメなことが色

    努力した上での「お任せ」が大切です - 伊勢ー白山 道
  • みんな挑戦する旅の最中なのです - 伊勢ー白山 道

    「自分の選択に負けずに果たすこと」(2011-06-20) 最近は心身ともに更に軽く成った感じがしており、日常生活を営みながら色んな次元を垣間観ています。心身が強化するに比例して、心の安定と感応がより強さを増しています。 実はこれは、昭和の時代には反比例する現象でした。 昭和の次元では、霊的な感応力が増すに比例して、心身が弱体化する不安定な現実が社会に多々ありました。多くの感応者が、結局は精神の病と判定され、実際に悲惨な最期を終える人が多かったのです。 私の場合は、もともと生まれながらの天然の感応でしたので、心と肉体が完全な同調を済ませた二十歳以降は、不要な霊的存在からの影響を完全に受けなく成っていました。 今では神界から地獄まで、仕事をしながらでも自在に垣間観る感応を自分なりにいだいています。 最近の死者の方々を観ますと、最初の49日間のバルドォ期間において、泣いている魂が多いのです。

    みんな挑戦する旅の最中なのです - 伊勢ー白山 道
  • すべては成長のために起こります 完訳 - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第八十一章 (独自の超訳) 当に信頼が出来る言葉とは美しくは無くて、逆に美しい言葉(美辞麗句)は信用が出来ません。 善良な人間とは弁解がへたであり、弁解が上手い者ほど当は善人ではありません。 多くの物知りほどその知識は浅く、一つのことに知識が深い者ほど他のことは知りません。 だから聖人とは、何も貯め込ま無い人のことなのです。 聖人は、ことごとくが他人のためのことをするのに、さらに聖人は多くのモノが与えられます。 聖人は、多くの持ちモノを人々に与え尽くしますが、さらに聖人は多くのモノを持たされます。 天の道(法則)とは、利益を与える一方であり、害を与えることがありません。 聖人の道とは、物事を成し遂げながらも、他と争うことをしません。 原文 「信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。 聖人不積。既以爲人、己愈有。既以與人、己愈多。 天之道、利而不害。聖人之

    すべては成長のために起こります 完訳 - 伊勢ー白山 道
  • 錦(にしき:金色)の織物 - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十三章 (独自の超訳) あえて行動するのに勇敢な者ほど殺され、あえて何事にも消極的な者が生かされることがあります。 この両者それぞれにとって、ある意味では利益が有り、ある意味では害が有ります。 天界が何を悪と判断するのかは、誰もその答えを知ることが出来ません。 これは聖人でさえも難しくて知ることが出来ません。 天の道とは、争わないでも上手に勝ち、 言葉を使わずに上手に体験で教え、 招待せずとも自ら自然に来させ、 ゆったりとしていながらも自然に物事を達成させます。 天界が、悪人を捕まえる網の目が大きくて漏れが出るように人間には思えますが、 どんな悪人も絶対に取り逃がすことがありません。 原文 「勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。 天之道、不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。 天網恢恢、疏而不失。」 (感想) 老子の言葉

    錦(にしき:金色)の織物 - 伊勢ー白山 道
  • 自分のことを叱ってくれる人間は貴重です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十四章 (独自の超訳) もしも民衆が悪政治により圧迫されて死ぬことも恐れなくなれば、どうして死刑によって民衆を脅すことが出来ましょうか。 たとえ民衆が常に死を恐れているとしましても、もし悪事を働く者がいれば、私が捕まえて死刑にすることが可能ですが、誰が自ら進んで他人の死刑を執行することが出来ましょうか。 常に人間の生死を司る大いなる存在がいて、人間に死をもたらすものなのです。 その生死を司る大いなる存在に成り代わって、人間の判断で他人の死刑を執行するということは、 これは熟練した職人に成り代わって素人が木を削ることと同じなのです。 このように熟練工に成り代わって木を削る者は、自分自身の手に傷を負うことに成ります。 原文 「民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。 常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。 夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。」 (感想)

    自分のことを叱ってくれる人間は貴重です - 伊勢ー白山 道
  • 自然な流れで生きること - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十五章 (独自の超訳) 民衆が飢えるのは、そこの支配者が税金を多く取り過ぎるからです。これこそが飢える原因です。 民衆が平和に治まらないのは、そこの支配者が間違った政策をするからです。これこそが平和に治まらない理由です。 民衆が人の死を軽んじるのは、そこの支配者が自分たちが生き残ることばかりを重視するためです。このために民衆は他人の死を軽視します。 つまり、生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます。 原文 「民之飢、以其上税之多、是以飢。民之難治、以其上之有爲、是以難治。 民之輕死、以其求生之厚、是以輕死。 夫唯無以生爲者、是賢於貴生。」 (感想) 「生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます」 これは色んな物事にも言える真理だと感じます。 「御金に執着す

    自然な流れで生きること - 伊勢ー白山 道
  • 弱いと思える人ほど、強い人です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十六章 (独自の超訳) 人間が生まれた時は、肉体が柔らかくて、しなやかです。 しかし、人が死んだ時には、堅くてこわばっています。 草や木や万物も生まれた時は柔らかくて弱いですが、これが死んだ時は枯れて堅く成ります。 だから、堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです。 以上の理由で、強い武器に頼る者ほど相手に勝てず、木も堅く強いほど逆に折れやすく成ります。 つまり、強くて大きな存在ほど下層になり、柔らかくて弱い者ほど上座に居ることに最終的には成ります。 原文 「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。 故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。 是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。」 (感想) 「堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです」 この老子の言葉は、色んな意味で何にでも言えると思います。

    弱いと思える人ほど、強い人です - 伊勢ー白山 道
  • すべては水平に戻されます - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第七十七章 (独自の超訳) 天界が行う方法(道・真理・法則)とは、弓に弦を張るときと似ています。 高い所は押さえ込み、低い所は持ち上げます。 弦の長さに余りがあれば短くし、弦が短くて足らなければ継ぎ足して補います。 天界の方法とは、このように余ったものを減らして、足らないものを補うのです。 しかし、人間が行う方法はそうではなくて、足らない方を更に減らして、有り余る方に奉納してしまいます。 どんな人物が、自分の有り余るものを社会の困る人々に奉仕するのでしょうか? それは道徳心を身に付けた者だけが、これを出来ます。 だからこそ聖人は、何かを成し遂げても要求はせず、大きな功績を上げてもそれに安住はせず、 自分の賢さを他人に見せることを嫌がります。 原文 天之道、其猶張弓與。者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。 天之道、損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。 孰能有餘以

    すべては水平に戻されます - 伊勢ー白山 道
  • 自らを低く謙虚に居ること - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第六十六章 (独自の超訳) 大河や海が多くの河川の王様となっている理由は、それが最も低い所に存在するからであり、 だからこそ低く存在することにより無数の河川の王様となれています。 だから、民衆の上に立とうと思うならば、必ず謙虚な言葉を持って民衆にへり下り、 民衆の先頭に立とうと思うならば、必ず自分の身を民衆の後におくことが大切です。 こういうわけで聖人は、民衆の上にいましても民衆は重いとは思いませんし、 聖人が民衆の先頭に立っていましても民衆は障害とは思いません。 そのために天下の人々は、聖人を喜んで推薦して嫌がる事がありません。 聖人は誰とも争わずに推薦されるために、天下社会に聖人と争うことが出来る人間は存在しません。 原文 「江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。 是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。 是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。 是以天下樂推而

    自らを低く謙虚に居ること - 伊勢ー白山 道
  • 慈悲心が幸福を呼びます - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第六十七章 (独自の超訳) 社会の人々はみな私のことを、言うことが大人物のようだが愚か者に見えると言います。 しかしそれは当に大人物だからこそ、逆に愚か者に見えるのです。 もし私が賢い人間に見えたならば、最初から小物に過ぎなかったということです。 私には三つの宝が有り、常にこれを守っています。 第一は、慈悲の心です。 第二は、質素倹約です。 第三は、社会の人々の先頭を歩かないということです。出しゃばることをしません。 人間は、慈悲深い人ほど勇敢に成れます。 質素倹約をするからこそ、広く色んな活動をすることが可能に成ります。 あえて社会の人々の先頭を歩かないからこそ、色んな人々の長所を陰から伸ばすことが可能に成ります。 もしも今、慈悲の心なしで勇敢であろうとし、 質素倹約をしないで交友を広げようとし、 人々の後ろに居ることを捨てて何でも先頭に立とうとすれば、 その人間は必ず早死

    慈悲心が幸福を呼びます - 伊勢ー白山 道
  • 四つの法則が大切 - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第六十八章 (独自の超訳) すぐれた真の軍人とは、猛々しくありません。 真に戦いにすぐれた者は、怒りを表しません。 よく敵に勝つ者は、まともに敵と争いません。 上手に他人を使う者は、相手の下手に出ます。 これを争わない人徳と言い、 これを他人の力を使いこなすと言い、 これを「天の采配」と言います。 古来からの最高の法則なのです。 原文 「善爲士者不武。善戰者不怒。善勝敵者不與。善用人者爲之下。 是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天。古之極。」 (感想) 最初の四行を書き換えますと、 「当に強い人間は、静かな人物に見えます。 すぐれた人間は、その判断が怒りにより左右されません。 最後に勝ち残る人間は、自分の敵の相手をしません。 他人を上手に生かすことが出来る人間は、相手に対して謙虚である」 老子は、これを成功するための「天の法則」としています。 これをさらに短くしますと、 静か

    四つの法則が大切 - 伊勢ー白山 道
  • 悲しみを持つ人間は強く成れます - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第六十九章 (独自の超訳) 軍隊を使用する場合に言えることがあります。 「自らあえて攻撃を仕掛けずに、防衛に徹すること。 あえて無理に一寸でも前に進もうとはせずに、大きく10倍の一尺でも後退すること」 ということです。 このようなことを、「進軍するにも進むべき道が無い」 「こぶしを振り上げようにも腕が無い」 「武器をとらず」と言います。 すなわち、そのようにしますと戦うべき敵など存在しないのです。 敵を軽視することほど大きな災いはありません。 もし敵を軽視すれば、自分の宝の大半を失うことに成るでしょう。 だから、軍隊を出してお互いに拮抗する時は、悲しみの気持ちを持つ方が勝ちます。 原文 「用兵有言、吾不敢爲主而爲客、不敢進寸而退尺。 是謂行無行、攘無臂、執無兵、扔無敵。 禍莫大於輕敵。輕敵幾喪吾寳。故抗兵相如、哀者勝矣。」 (感想) この章は、軍隊や戦争のことだけを言っているの

    悲しみを持つ人間は強く成れます - 伊勢ー白山 道
  • パターンを見ようとする視点が大切です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第六十五章 (独自の超訳) 昔の良く道徳を修めた人間は、民衆を聡明に賢くしようとはせずに、 むしろ愚直なままに放置しました。 民衆が治め難くなるのは、民衆に余計な知恵が付くことで起こります。 だから知恵(頭だけで)によって国を治めようとすることは、国家の害と成ります。 知恵(頭だけで)によって国を治めようとしないことは、国家を安定させます。 この二つのことを知ることは、国家を治める法則となります。 常に物事の法則を知っていることを、「神妙なる徳」と言います。 神妙なる徳とは、非常に深遠であり、この世の万物が帰順します。 こうして色んな法則に従えば、この世のすべてが順調に回ります。 原文 「古之善爲道者、非以明民、將以愚之。 民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊。不以智治國、國之福。 知此兩者、亦稽式。常知稽式、是謂玄徳。 玄徳深矣、遠矣、與物反矣。然後乃至大順。」 (感想)

    パターンを見ようとする視点が大切です - 伊勢ー白山 道
  • 今からも変えることが可能です - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第五十章 (独自の超訳) 人間は世に生まれ出れば、必ず死んでいきます。 人生をまっとうすることが出来る人間は、十人いれば三人だけです。 そして、人生の途中で死ぬ人間が十人の内の三人です。 そして、人の人生では、自ら望んで戦地に死に行く人間も十人いれば三人はいます。 どうしてこの様に分かれるのかと言えば、 人間は生きることに執着をし過ぎると良くないほうへ分かれます。 よく耳にすることは、長生きをしている人は、 陸地を長く旅しても猛獣の害に遭わず、 軍隊に入れられましても武器を持たないで済む部所に回されると言うことです。 つまり、そのような人には、サイもそのツノを突き立てることが出来ず、 虎もその爪を引っかけることが出来ず、 敵兵も危害を加えることが出来ません。 どうして、そのようなことに成るのでしょうか? それは、その人間が死ぬ理由(因果)を作らない生活をしたからなのです。 原文

    今からも変えることが可能です - 伊勢ー白山 道
  • 自分自身を見詰めましょう - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第四十七章 (独自の超訳) 人間は、家から出なくても世の中のことが分かり、 窓から外を見なくても天の法則を知ることが可能です。 つまり人間は、自分自身から離れれば離れるほど、真理のことがますます分からなく成ります。 何かを求めて遠くへ行くほど、当の真理=幸福から離れます。 だから聖人は、どこにも行かなくても良く分かり、 何も見ないでも理解し、 何もしないでも成し遂げます。 原文 「不出戸知天下、不闚牖見天道。其出彌遠、其知彌少。 是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。」 (感想) この章で老子が言いたいことは、人間の「脳」と見える世界についてだと感じます。 例えば、知識というものを求めて遠方まで出かけましても、その知識が後で間違いだったということが多々あります。 世の中の情報にしても同じです。当の真実は隠されて、真逆な内容であることが後から分かることが有ります。 では、人

    自分自身を見詰めましょう - 伊勢ー白山 道
  • 悩む時点で、まだ何かが不足している - 伊勢ー白山 道

    老子の言葉 第四十三章 (独自の超訳) 社会の中では、最も柔軟な姿勢で居る者が、組織に縛られた人間を蹴散らすことが出来ます。 まるで水のように、どんな環境にも順応して入ることが可能な人間だからです。 私はこのことから、「自然な流れ」に抵抗せずに従うことが最もお得であることを知っています。 このような言葉に表すことが出来ない生活の知恵と、 自然な流れに従うことの有益さには、 天下社会の中でこれに匹敵するものは無いと言えます。 原文 「天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無間。 吾是以知無爲之有益。不言之教、無爲之益、天下希及之。」 (感想) 転職をしたい。引っ越しをしたい。離婚をしたい。・・・・。 いつの時代でも人間は悩むものです。 そういう時に老子は、 「先入観の無い柔軟な姿勢でいなさい」「自然な流れに従いなさい」 これが最善であり、自分の運命にとってもお徳な選択に成ると言っています。 つま

    悩む時点で、まだ何かが不足している - 伊勢ー白山 道