タグ

ブックマーク / kotobasm.hatenablog.jp (127)

  • そうか”新発売”までが商品名だったのか【ケンちゃんラーメン】 - 昭和KOTOBASM

    よく夕方のテレビ東京で流れていたCMというものがある。それが「ねるねるねるね」と「ケンちゃんラーメン」だ。それもかなりの長い間流れていた。この二つの商品名は、30年経ったいまも脳裡にやきついてはなれない。 しかしじつはこの二つをべたことがない。頭のどこかで、どうせいまべなくても、いつかべられるだろう、こんなに長くCMをやっているのだから、というのがあったのであろう。 そうしていたら、いつのまにかべずに現在に至ってしまった。もはやどこにも売ってはいない。かといって後悔しているのかというと、そうでもないのだが。しかしケンちゃんラーメンといえば、長い間CMでずっと”新発売”を謳っていたのに。 あのCMの新発売という言葉には、気を感じさせた。いつも新鮮な気持ちでやっていますよという。そこにはロングセラー商品になるまでの、サクセスストーリーが隠されていたに違いないのだ。 だからこそこちらも

    そうか”新発売”までが商品名だったのか【ケンちゃんラーメン】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/23
  • 平日夕方6時はバカな子どもの時間だよ【テレビ東京の夕方の番組】 - 昭和KOTOBASM

    子ども時代、関東圏に住んでいなかったヒトには申し訳ない。もしかしたら大阪なんかはやっていたかもしれない。夕方6時にテレビ東京にチャンネルをあわせると、よくホビー関係の番組をやっていた。 ほんらいちゃんとした中学生なら、平日の夕方6時なんていう時間は、塾などに通っていたことだろう。けれどもほんとうにバカな関東在住の男子というのは、この時間にテレビの前にいたのであった。 このスーパーマリオクラブというのは、平成に入ってすぐあたりの比較的あたらしい番組であるが、これ以前には「タミヤRCカーグランプリ」やら「高橋名人の面白ランド」などという番組が存在した。 ファミコンもラジコンも持っていなかったし、この手の番組にはまったく興味がなかったのだが、あるときこのスーパーマリオクラブの動画をみて衝撃をうけ、またさいきんみてしまい、そういえばあの時間帯にこんな番組やっていたなという記憶が蘇った。 まさか前嶋

    平日夕方6時はバカな子どもの時間だよ【テレビ東京の夕方の番組】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/20
  • 試練の道をゆくが男のど根性【うさぎ跳び】 - 昭和KOTOBASM

    ウサギ跳び。中高生の時分には体育会系の部活ではふつうにやっていたが、いまでもまさかやっていたとは。あるときから関節や筋肉などを痛めるということで、いつからかやらなくなったとおもっていたのだが。 日学生野球協会(東京)は14日、部員に長時間、ウサギ跳びをさせる体罰があったとして、鳥取県立八頭高(八頭町)の硬式野球部監督(3 8)を、3月24日から2年間の謹慎処分にしたと発表した。 3時間ウサギ跳び強要…野球部監督に謹慎2年 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) しかしあの阪急ブレーブスの大エースだった山田久志は言っていた。「うさぎ跳びで壊れる奴はプロ野球選手じゃない!」と。人はうさぎ跳びも肉体の鍛錬としてありだと考えているのかもしれない。 だがそれ以上にあの世代のスポーツ選手というのは、まず根性ありきという精神論が染みついているのではないだろうか。関節を痛めるだけあって

    試練の道をゆくが男のど根性【うさぎ跳び】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/17
  • コウモリだけが知っている【黄金バット】 - 昭和KOTOBASM

    子どものころ、東京12チャンネル(現・テレビ東京)では夕方にかけて、むかしのアニメの再放送枠というのがあった。その枠でやっていたと記憶している。いや朝だったかもしれなくて、記憶が定かではないのだけれども。 放送は昭和42年に日テレビの土曜日19時からやっていたそうだ。もとは紙芝居で、昭和5年に原作ができたとのこと。見た目がどくろで不気味なかんじがするのだが、テレビアニメは何回も再放送されているのだから根強い人気があったのだろう。 小さい子どもの時分に観たものだから、内容まではよく覚えていないのだけれど、あの独特の笑い声は印象に残った。よくモノマネをやったものだ。意外とあの笑い方はやってみると難しい。 ちなみに敵はナゾ―というやつで、ミミズクの覆面をして、色とりどりの4つの目をした怪人だった。シンプルな造形がかえって、昔のアニメ特有のおそろしさと不気味さを醸し出す。 オープニングの最後の

    コウモリだけが知っている【黄金バット】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/15
  • しつけのコーナー【ペギー葉山】 - 昭和KOTOBASM

    童謡「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」などのヒット曲で知られる歌手のペギー葉山(ぺぎー・はやま、名=森シゲ子=もり・しげこ)さんが12日午前11時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。連絡先はキングレコード。お別れの会を行うが日取りなどは未定。 ペギー葉山さんが死去 「ドレミの歌」 :日経済新聞 子どものころ、フジテレビの朝の子供番組「ひらけ!ポンキッキ」には”しつけのコーナー”というのがあった。それはかならずエンディングの前にやっていて、それまで楽しんでいた気持ちをグッと引きしめたのであった。 子ども心にあれは怖かった。まず名前が”ペギー葉山”である。そしてあの厚めな化粧でドスのきいた顔。あんなヒトにしつけなんてされた日には、子どもはだまってしたがうしかなかろう。 「きちんと信号を守って横断歩道を渡りましょうね」とペギーさんにいわれたのなら、もうこちらは直立不

    しつけのコーナー【ペギー葉山】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/13
  • 10.19【安部憲幸アナウンサー】 - 昭和KOTOBASM

    元朝日放送(大阪市福島区)のアナウンサー・安部憲幸(あべ・のりゆき)さんが6日、胃がんのため死去した。71歳。島根県出身。 10日、同局のラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」(月~金曜前6・30)で発表された。 元朝日放送の安部憲幸さんが胃がんで死去 パワプロ実況で知られる - ライブドアニュース 昭和が終わろうとした昭和63年。プロ野球はセリーグが中日、パリーグは西武が優勝し、日シリーズは西武が制した。そしてこの年はなんといっても、南海ホークスがダイエー、阪急ブレーブスがオリックスに譲渡された年でもあった。 この時代の西武ライオンズは、もはやパリーグでは敵はいない。まさに黄金時代で、リーグ4連覇をはたした。だがこの年はちょっと違った。近鉄バッファローズが、最終戦までい下がったのであった。 まだこの時代は、東京ドームもまだできたばかりのころ。雨で試合が中止になることもしばしばで

    10.19【安部憲幸アナウンサー】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/12
  • 乗り物画報【昭和42年】 - 昭和KOTOBASM

    先日研修で高田馬場に行ってきたので、帰りに寄り道をして、中野ブロードウェイに。中野駅の駅前もだいぶ整備がされていたが、サンロードはあいかわらずの活気にみちていた。 もちろんその先にある中野ブロードウェイもいつもどおり。まんだらけにいって、を買ってきた。昭和42年、小学館発行の「乗り物画報」という子どもむけの絵である。 まだ東海道新幹線が開通して3年ぐらいのとき。うしろで0系が走っている。ときは高度経済成長期のまっただ中だ。子どもたちの夢をのせて、バスはひた走る。バスガイドさんも「東京のバスガール」を歌う。発車オーライ!明るく明るく走るのよ! ”こくてつのでんしゃ”は左から、まあるい緑の山手線・まんなか通るは中央線・そして京浜東北線に総武線だ。東海道線は日お休み。中央線とキャラがかぶるという事情があるのかもしれない。 ”乗り物画報”だから、もちろん自動車も載っている。ジャガーではなく”

    乗り物画報【昭和42年】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/11
  • 「ハチのムサシは死んだのさ」平田隆夫とセルスターズ【ラジオメモ】 - 昭和KOTOBASM

    今回のタブレット純 音楽の黄金時代のお題は”人の名前のついた歌”ということで、聴いているとけっこうそういう歌って多いのだなと気づかされる。昭和47年に発表された「ハチのムサシは死んだのさ」もそのなかのひとつ。 この歌は前から知っていたが、変な歌というか、何が言いたいのかわからないというか。そんな印象を持っていた。放送でいっていたのだが、学生運動を示唆しているのだとか。いわれてみればああなるほどというかんじだ。 作詞は1963年の映画「一三人の刺客」にも出演した俳優の内田良平で、このヒトは詩人としても知られていて、多くの動物や昆虫をテーマにした詩を残している。「ハチのムサシは死んだのさ」もそのうちのひとつ。 昭和47年といえば、”連合赤軍あさま山荘事件”があった年でもあり、その後に内ゲバ殺人事件も発覚した。実際の学生運動の末期は、「ハチのムサシは死んだのさ」の世界とはほど遠い、凄惨をきわめた

    「ハチのムサシは死んだのさ」平田隆夫とセルスターズ【ラジオメモ】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/10
  • 「タンバさんリボンさんに学ぶストリップ完全応援マニュアル」(2017年3月17日放送)【タモリ俱楽部メモ】 - 昭和KOTOBASM

    ことしでストリップが日に誕生して70年になるのだとか。いまでは”ストリップ女子”なんていうのが急増しているという。もとが100のうちのゼロに近かったのだから、いま1や2ていどに女子が増えても”急増”になるわけだが。 そうやってなんでも”女子”ってつければいいってものではないだろうなんてイチャモンをつけてしまうと、世の中の流行らせ隊?みたいなヒトタチに怒られてしまいそうだが。 タンバさんというのは、ストリップの踊り子さんが踊っているときに、タンバリンを打って、リボンさんというのは踊り子さんがポーズをビシッと決めたときに、リボンを投げて、それぞれ場を盛り上げるヒトタチをいう。 タンバさんもリボンさんもお店のスタッフではなく、どうやらお客さんらしいのだ。わざわざ入場料を払って応援のためにやっているのだとしたら、なんとも健気ではないか。 誰もその姿に注目するわけでもなく、他の観客がかぶりつきで踊

    「タンバさんリボンさんに学ぶストリップ完全応援マニュアル」(2017年3月17日放送)【タモリ俱楽部メモ】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/07
  • なぜ金屛風を前にして謝罪会見をしなくてはならなかったのか【中森明菜】 - 昭和KOTOBASM

    彼女もあの伝説のオーデション番組「スター誕生(日テレビ)」出身だった。出場したときは、山口百恵の「夢前案内人」を歌っていた。そういえばふたりとも、どこか陰があるところが似ている。 山口百恵が昭和55年に引退し、その年に松田聖子が、昭和57年に中森明菜がデビューして、このあいだにアイドルシーンはガラッと変わった。山口百恵とともに”花の中三トリオ”だった桜田淳子が、明らかに失速していたのが、目に見えてわかったものだ。 山口百恵と中森明菜にはもうひとつ共通点があった。恋人役として共演していたヒトとプライベートでも恋人になるという。しかしその恋の結末だけは違うものになってしまった。 時代が平成になってまもなく、中森明菜は当時恋人だった近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂事件をおこした。そしてその年の末に謝罪会見を開いた。その会見でなぜか金屛風がはられていた。 金屛風というのは、おめでたい席において

    なぜ金屛風を前にして謝罪会見をしなくてはならなかったのか【中森明菜】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/04
  • 今日も昨日も一昨日も負けてしまったけれど【千葉ロッテマリーンズ】 - 昭和KOTOBASM

    開幕3連敗。しかもいちばん負けたくない相手に敗れてしまった。オーナーが世界長者番付トップ50に入り、去年マリーンズでいちばん多くのホームランを打った外国人選手を金の力で横取りした福岡ソフトバンクホークスに。これは悔しい。 しかし意地で勝てりゃ苦労はしない。プロ野球とはそういうものである。なにもかもあちらが一枚上手なのだ。しかたあるまい。このまま負け続けようが、応援しつづけるしかないのである。 おもえば1991年にロッテが千葉にやってきたころからずっと応援し続けてきた。それまで地元千葉にはプロ野球球団がなかった。おなじ首都圏の埼玉や神奈川にはすでにあって、それを指をくわえてみているしかなかったのだ。 子どものころは西武ライオンズの黄金期で、ジャングル大帝レオのマークをあしらった帽子をかぶる所沢の子どもたちをテレビで観て、うらやましくて仕方なかった。西武球場がキラキラ輝いてみえた。 それにくら

    今日も昨日も一昨日も負けてしまったけれど【千葉ロッテマリーンズ】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/03
  • あれから30年【日本国有鉄道】 - 昭和KOTOBASM

    国鉄がJRに変わってちょうど30年になる。1987年4月1日にJRになったので、30年前の今日が国鉄最後の日ということになるわけだ。そう、そのむかしは”国有鉄道”があったのである。 国鉄最後の日 国有鉄道であるから、駅員はそのころ当然公務員だったわけで、サービス精神というものがほんとうに欠如していた。役人根性まるだし。サービスなんかしなくても、おまえら乗らざるをえないんだからという態度がありありだった。 いまでは考えられないが、ストライキも多かった。国鉄というところは、どうやら従業員が強かったようだ。電車が止まれば困るヒトも多くいるわけで、それを盾にすりゃ従業員も大きく出られたのであろう。 そんな国鉄も赤字が膨れ上がってしまい、民営化となりJRとなった。それからというもの、愛想のいい駅員が増えていった。いまや車いすのヒトを電車に乗せようというときの、駅員の親切なこと。もはや駅員なんて呼び捨

    あれから30年【日本国有鉄道】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/04/01
  • カルピスが高級品だった時代【カルピス】 - 昭和KOTOBASM

    いまやカルピスは紙パックに入っていて、ふつうにスーパーマーケットで安く買えるようになった。瓶に入ったカルピスをみたことがないというヒトも多いのではないだろうか。 瓶に入ったカルピスは、仰々しく水玉の紙に包まれていて、なおかつ栓抜きを使って開けなくてはならなかった。ごぞんじのとおり、カルピスは水で薄めて飲むので、家々によってその濃さは変わってくる。 我が家のように、千葉市の埋立地に建てられた新興の団地なんていうのは、収入差なんてそんなにない、同じような家庭ばかりのはずなのだが、見栄っ張りな家の親は、カルピスの濃さで見栄をはるのであった。狭い部屋にピアノなんか置いて。 まだ個人商店がけっこうあったころだ。なぜかフルーツ店に水玉の紙に包まれたカルピスが置いてあったりもした。ちょっとした手土産に持っていこうとするヒトが買っていったにちがいない。 またお中元の定番でもあった。カルピスが届いた日には、

    カルピスが高級品だった時代【カルピス】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/30
  • 卒業通り / ブービーズ【ラジオメモ】 - 昭和KOTOBASM

    今回タブレット純さんの「音楽の黄金時代」のテーマは卒業ソング。放送日は3月25日でもう時期を逸した感があるが。先週にやるはずだったのを、いきなりかえてしまったのだから、いたしかたあるまい。 きょうピックアップしたのは、ブービーズという女性フォークデュオの「卒業通り」という歌。ラジオを聴くまで知らなかったのだけれど、耳に残るいい曲だ。作曲は弘田三枝子の「人形の家」や由紀さおりの「手紙」を作った川口真さん。なるほど納得。 1976年。このころってこういうかんじの歌が多かったのだろう。こういう歌っていうのは、歌詞がガロの「学生街の喫茶店」っぽい歌って意味で。歌声はシモンズっぽくて。 ちなみに作詞は中里綴…って誰だよってなるかもしれないけど、別名は江美早苗さんともいう。知っているヒトは知っている。だから誰だよってヒトはそうなのだろう。西野バレエ団出身で、長寿番組「新婚さんいらっしゃい」の初代アシス

    卒業通り / ブービーズ【ラジオメモ】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/26
  • アイドルを好きになるのと恋愛対象としてヒトを好きになるのは別物【AKB48・坂口渚沙】 - 昭和KOTOBASM

    「AKB48」の坂口渚沙さん(16)が恋愛対象者の年齢を質問され、「20代前半くらいまで」と回答したことが波紋を広げている。 全文表示 | 切り捨てられたオタク 16歳AKB坂口が明かした「恋愛対象」 : J-CASTニュース らしい。この年頃の女の子ならば、ごくふつうの解答のようにおもえるのだが。 「ファン切り」「オタ切り」と一部で受け止められ、「オタクから批判殺到!」と騒がれたのだ。ツイッターや掲示板には、 「握手会に並んでる爺さん達が君の給料の元なんだよ」 「なぜ嘘をつかない 。自らファンを減らして何がしたいんだ」 「ガチすぎる。もうちょっと考えてから話さないと。自分の客は中年オヤジなんだからさ」 これがもしアンチのいいがかりならば捨て置けばいいのであるが、もしファンが気でそう考えているのならば、おぞましいとしかいいようがない。あくまでアイドルを好きになるのと、 恋愛対象としてヒト

    アイドルを好きになるのと恋愛対象としてヒトを好きになるのは別物【AKB48・坂口渚沙】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/25
  • 続・電子神の世紀【特集・未来予想図】 - 昭和KOTOBASM

    たとえば電子頭脳は現世においてヒトの罪を裁くようになるのだろうか。弁護士や検事も必要がなくなって、過去の判例データを分析して、機械の裁判官が判決をくだすように。 いろんなヒトが、人工頭脳があれば、ニンゲンの仕事なんてなくなっていくというが、そういうヒトに聞いてみたいのである。あなたのその予言って、つきつめればそういうことにもなるわけでしょうと。 ニンゲンの罪を裁くということは、ニンゲンが不完全ゆえに、不完全とはニンゲンの考えることは公平ではありえないゆえに、だからこそニンゲンが裁くことに意義があるのではないだろうか。 いまいちど”電子神”のイラストをみて想うことがある。結局は電子頭脳がどれだけ高度になろうが、やることはサイコロをふるということなのだと。そこにはなんの意思もありはしない。 そしておまけに、電線が切られてしまったら、電子頭脳は自分で復活することができない。そんな”神”は万能では

    続・電子神の世紀【特集・未来予想図】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/23
  • 電子神の世紀【特集・未来予想図】 - 昭和KOTOBASM

    最近よくみかけるコトバに”AI”というのがある。いわゆる人工知能というものだ。はたしてヒトはヒトと同じような知能をもつ装置をつくることができるのか。それは”神の領域”に入り込むのか。 近年では自動車も自動運転になるのではといわれている。さいきん高齢者の自動車事故も多いし、こういうのいいかなと思われがちだ。しかしはたして命の危険もある自動車の運転を、人工知能の自動運転にまかせられるのか。 100%ではないにしろ、ニンゲンの運転よりは、事故の確率は減るというヒトもいるかもしれない。だがニンゲンはいざ死ぬというときに、せめて自分の責任なんだからしょうがないという諦観みたいなものを持って死にたいとはおもわないだろうか。 はたまたニンゲンは、死というものをむかえるときに、その先は天国があるのか、地獄があるのか、ただ”無”になるのかわからないが、それらをむかえる前に思考する猶予というのがあるのだろうか

    電子神の世紀【特集・未来予想図】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/21
  • まぼろしの「亜麻色の髪の乙女」【青山ミチ】 - 昭和KOTOBASM

    「亜麻色の髪の乙女」といえば、ヴィレッジ・シンガ―ズのヒット曲であり、そののちに島谷ひとみがカバーしてこれもヒットを記録した名曲だ。じつはこの歌、最初はちがう題名だった。 「風吹く丘で」と「亜麻色…」に比べて、なんともおとなしいタイトルだし、曲もしっとりとした仕上がりになっている。歌い手は青山ミチさんという。横浜出身で、黒人とのハーフなせいか、エキゾチックな顔立ちをしている。 「風吹く丘で」がさあ発売というときに、覚せい剤で逮捕され、お蔵入りになってしまう。その後も2回覚せい剤で捕まってしまうなどして、ざんねんながら芸能界からも姿を消してしまった。歌唱力があるのに非常にもったいない。 晩年は娘と二人、生活保護をもらって生活し、先日お亡くなりになったそうだ。十代前半で芸能界デビューという華々しいスタートからするとなんとも寂しい。一回捕まったあとに薬物を自制しておけばとおもうとやり切れない。

    まぼろしの「亜麻色の髪の乙女」【青山ミチ】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/19
  • WBCテーマ曲のちょっと残念なミュージックビデオ【ジャーニー「セパレイト・ウェイズ」】 - 昭和KOTOBASM

    WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)が連日盛り上がりをみせている。開催前は日本代表も大会そのものも色んな批判を浴びていたが、フタをあけてみれば、好勝負の連続で、これには野村克也もギャフンというかんじだろう。 残念だったのが、早々と韓国代表が負けてしまったことである。やはり韓国が勝ち上がって、日との直接対決でヒールっぷりを発揮してくれないと、いささか盛り上がりに欠けるのであった。 まさかイスラエル代表が、みんなユダヤ系アメリカ人のメジャーリーガーばっかりのチームだったなんて、思いもよらなかったであろう。われわれ一般人にとってみれば。 さてそんなWBCは、テレビ中継もされているわけだが、TBSにおけるテーマ曲が、ジャーニーというグループの「セパレート・ウェイズ」という曲である。ジャーニーは1973年結成という意外に歴史あるバンドだ。 そしてセパレート・ウェイズも1983年に発表され

    WBCテーマ曲のちょっと残念なミュージックビデオ【ジャーニー「セパレイト・ウェイズ」】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/16
  • 涙をこえて【ステージ101】 - 昭和KOTOBASM

    今回のタブレット純「音楽の黄金時代」の特集は、”涙をこえて”。3月11日、東日大震災から6年という日にちなむ。当事者の方にたいして、こえていけというのは難しいハナシだけれども。 最初に流れた曲が、ヤング101の「涙をこえて」であった。ヤング101は、昭和40年代に、NHKで放送されていた音楽番組「ステージ101」のオーデションで選ばれたメンバーで結成されたグループである。 ちなみに101というのは、当時東洋一の大きさを誇った101スタジオのことで、収録もここで行われた。NHKアーカイブスで放送された最終回しか観たことがないのだが、男性メンバーが長髪であったりして、当時の風潮みたいなものがかいま見ることができる。 NHKステージ101最終回―涙をこえて その最終回のいちばん最後に流れた歌が、”涙をこえて”だった。このころすでにおなじNHKの「おかあさんといっしょ」でうたのおにいさんをしてい

    涙をこえて【ステージ101】 - 昭和KOTOBASM
    akirapuch
    akirapuch 2017/03/12