江戸時代は、出産で死ぬ母親、幼くして死ぬ子どもが多く、いのちを繋ぐことが厳しい時代でした。そんな時代に、人々はどのようにいのちを繋いできたのか、赤子の命綱である「乳」を手がかりに明らかにしてみたい。そう思って、2017年1月に刊行した本が『江戸の乳と子ども―いのちをつなぐ』です。 江戸時代には、赤子のいのちをつなぐために乳は欠かせないものでした。江戸時代の浮世絵や農業図絵には、乳房を出して赤子に乳を与える授乳の絵が数多く見られます。そこからは、江戸時代の授乳が母と子の閉ざされた空間のなかでなされるものではなかったこと、乳房を人前にさらすことは忌避されていなかったこと、そして既に歩けるようになった子どもも乳を呑んでいたことが見て取れます。 乳が、赤子の命綱であったことは、飢饉図のモチーフが、死んだ母と、その乳房にすがる赤子であったことからもうかがえます(図1)。死んだ母の乳を赤子が吸うという