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ブックマーク / essa.hatenablog.com (6)

  • 再提言:世代別二院制 - アンカテ

    しかし、今の高齢者各位に、なんと言えば私よりも若い人たちの抱える絶望感が伝わるか、私自身まだ言葉を持ち合わせていない。書の書き方では、よほど人間の出来た人でないとダメだということはわかる。しかしどういい直せば彼らの飲み込める言葉になるのかが、わからない。 私はかなり奥さんに尻に敷かれている方ですが、それでもごくまれにを叱りつけることがあって、そのうち一つは彼女が鏡を見ながら「若い人はいいわねえ」と言った時。 「今の若い人の気持ちを自分たちが若い頃の経験で推し量ってはいけない」 とマジで怒りました。 お肌の問題に悩んでいる女性にこんなことを言うのは明らかにコンテキストがずれている応答なので、その時は無茶苦茶な夫婦喧嘩になりましたが、折に触れ、そういうことを一年くらい言い続けていたら、ある時突然、これと言ったきっかけもなく「今の若者には『未来』が無いんだ」ということをストンと理解しました。

    再提言:世代別二院制 - アンカテ
  • 「投票することで主観的認知を変える」というライフハック - アンカテ

    主観的立場に立って「わたしが一票を投じるか投じないかによって、わたしにとっての世の中が、感知しえる程度に変化するのか?」 世の中にとって一票の重みなんて無いに等しいけど、自分にとって自分の一票の重みは大きいですよ。 サイコロでもアイウエオ順でもとにかく投票してから選挙速報を見ると、どうしても自分が投票した候補の得票が気になってくる。 短期的には、その晩の選挙速報がより楽しめるというライフハックになります。 長期的には、「世の中が感知しえる程度に変化する」のではなくて投票→速報に一喜一憂を積み重ねることによって「世の中への感知が変化する」ことが重要。 世の中へのチャンネルがたくさんあった方が人生は豊かになる。たとえば、自分で選択した音楽を一切聞かない人は人生を損していると私は思うけど、それと同じ意味で投票をしない人は人生を損していると思う。音楽も投票も、コミットする対象を選択することが重要で

    「投票することで主観的認知を変える」というライフハック - アンカテ
    alfalfarm
    alfalfarm 2007/07/30
    楽しんだ
  • 手嶌葵の「テルーの唄」 - アンカテ

    手嶌葵が「テルーの唄」を歌う時に、そこに生起するはずだった因果を人名の形で書けば アーシュラ・K・ル=グウィン 宮崎駿 宮崎吾郎 萩原朔太郎 谷山浩子 どれも大きく重い名前である。その上、そのうち何人かはややこしい関係になっていたりする。 だから、彼女は大変な状況の中で歌っていて、普通だったら、その大変さが何らかの形で漏れ出てきてしまうはず。 しかし、そこにはただ、透明な歌声だけがある。 手嶌葵だけがそこにいる。 まぎれもなく、テルーが一人そこにいる。 これは当に不思議で稀有なことだと思う。 彼女は過去をシャットアウトしているわけではない。過去を乗り越えようとしているわけでもない。ただ透明になり、来の自分であろうとしているだけだ。 人類は既にたくさんのアートを産み出していて、怨念のようなその集積が、もし目に見えるものだとしたら、高層ビルのようにそびえ立っていて、今にも崩れかからんばかり

    手嶌葵の「テルーの唄」 - アンカテ
  • 「ゆるさ」という共通言語 - アンカテ

    そこで思ったのは、ゆるさというのは若者の共通言語なんじゃないでしょうか。なので、伝えたいことや質は特に昔と変化していないんじゃないでしょうか。これは今の若者達と表面上だけではなく、ちゃんと付き合わなきゃわからないと思います。 mixiに見られる「ゆるさ」は若者の共通言語となっているが、そこに惑わされると若者の質が見えてこないという話。 「私には出来ない」とおっしゃっているんですが、この文章自体が「前向きなゆるさ」のある名文だと思います。 逆に言えば、今の世の中には物っぽい偽物があふれていて、「ゆるさ」がそれを効果的に解体して無化してくれる。「ゆるさ」というのは、偽物を濾過するフィルターとして機能しているので、防衛の為に若者がそういうスタイルを好んで身につけているのかもしれません。

    「ゆるさ」という共通言語 - アンカテ
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - デュープロセスと2ちゃんねるは限りなく頼りなくても絶対必要なもの

    人のための憲法原論 このに面白いことが書いてありました。 「刑事裁判とは、検察、すなわり行政権力を裁く場である」というのは近代裁判の大前提なのですが、これもまた日人のよく理解できていないところです。(P43) 刑事裁判において裁判官は、「真実の探求」なんてことはこれっぽっちも考えてない。被告のことなんてどうでもいい。気にしているのは検察のみ。ひたすら、検察の言うことに間違いが無いか、鵜の目鷹の目でチェックする。 だから弁護人はいくら間違えてもいい。関係無い所に何回ツッコミを入れても問題ない。めくらめっぽうで100個ツッコミを入れて、そのうち一つでもまぐれ当たりして検察の言うことに矛盾や嘘が発見されたら被告側の完勝、検察側の完敗だそうです。 裁判官はそういうジャッジをする。検察が100点を取ったかどうかだけを見てればいいんです。 「へえー」と思って、ちょうど話題になっているO・J・シ

    アンカテ(Uncategorizable Blog) - デュープロセスと2ちゃんねるは限りなく頼りなくても絶対必要なもの
    alfalfarm
    alfalfarm 2006/11/24
    刑事方面のバッシングを肯定的に評価する背景の話
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - 2的空間+ブログ+炎上耐性の一般教養化=最強!

    電網山賊:2ちゃんねる的空間における議論可能性について 面白かった! これについて、ごく小さな異論を加えつつその続きを考えてみたいと思いますが、この文章は実にわかりやすくてスリリングな議論なので、是非、全文を読んでいただきたいと思います。 ここで、id:pavlushaさんは、「匿名で発言者の追跡が困難」→「細切れレスの蓄積を参加者が平等に評価した上で議論が進展」→「発言内容とそれが示す外部ソースのみによる評価」という2ちゃんねるの特性に着目し、これを抽象化した「2的空間」における議論の特性を分析されています。 2ちゃんねるで真面目な議論が行われる時に必ず出現するレスのひとつが、「ソースは?」「ソースきぼん」というものです。私の見る限り、ある発言者のレスに含まれる情報を、他の外部の情報源(多くはその場で他の参加者も見られるネット上の記事)によって確認しようとする傾向はかなり強く存在します。

    アンカテ(Uncategorizable Blog) - 2的空間+ブログ+炎上耐性の一般教養化=最強!
    alfalfarm
    alfalfarm 2006/08/18
    「2的空間」における議論は、共有する前提の確かさを破壊的検査によって確認しながら進行していく。
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