2015年3月12日のブックマーク (4件)

  • 「ふざけんな!金返せ!」古代メソポタミアの粘土板に刻まれた文字の解読を行ったところ、顧客のクレームであることが判明 : カラパイア

    3750年前、メソポタミアでは世界最古の文明である古代メソポタミア文明で栄えていた。その当時のものとされる楔形文字が刻み込まれた粘土版が発掘され、書かれた文字の解読を行ったところ、顧客のクレームであることが判明したという。 どうやらこれは、銅のインゴットを買った顧客がその品質の悪さに腹を立て、「粗悪品すぎる。金返せ」。という内容の私信を貿易商に送った時のものだという。

    「ふざけんな!金返せ!」古代メソポタミアの粘土板に刻まれた文字の解読を行ったところ、顧客のクレームであることが判明 : カラパイア
    algot
    algot 2015/03/12
    老害論とかあると面白い
  • 自分が言ったことが伝わらないイライラをラクする方に変えたいという怠惰な話 - スズコ、考える。

    以前から悩みの種だった、子どもたちの下右左バラバラ事案。 脱いだら2つ一緒にして洗濯カゴに、と何度も何度も口頭で言っているのになかなか洗濯後に出会えない右くつしたと左くつした。そして片方が居ない下を入れる箱(というものが我が家には存在します)にある程度たまったらそれをひっくり返して仲間探しが行われる、という何とも不毛な事をここ数年やってました。 てこ入れせねばと思いつつ放置していたこの事案を打開すべく、画期的な改善案を考えました。 使うのは洗濯ネットです。 脱衣場の目立つ位置に洗濯ネットをマグネットで貼付けて「脱いだ下はここに入れましょう」と子どもたちに何度も言いました。 が。 入ってない。 結局ズボンやパンツと一緒くたに洗濯カゴに押し込まれ、そしてやっぱり行方不明になる下が続出。 ネットに入れて!!!って何度言っても入れない。 正直腹が立ちました。用意して何度も言って、でも行動に

    自分が言ったことが伝わらないイライラをラクする方に変えたいという怠惰な話 - スズコ、考える。
    algot
    algot 2015/03/12
    松ちゃんの行ってた高校は番長を生徒会長に任命するって言ってたな。その方が生徒が統率するらしい。親も教師も考え方次第。
  • 「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は

    幸せだ。 無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。 でも私達は覚えている。 狂犬のひきつった嘲笑を。 血に塗れた牙の鈍光を。 昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。 人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。 なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで? 間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。 「生き残った」のだ。 かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。 そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことが

    「ネヲチ界のケルベロス」と呼ばれたころのkanoseを知らない人間は
    algot
    algot 2015/03/12
    はてなって面白そう
  • やっぱりサイバーメガネさんにはブログをやめて欲しい - かくいう私も青二才でね

    内輪の話だから短めに。 別に僕は参謀部の人間でもなく、ネット上の繋がりだから齋藤さんがネットで炎上して体調を崩しても「それまでだったんだな」程度の感想の人だよ。 でも、2回対談して齊藤ハウスにも足を踏み入れて、オフ会含めれば4回お会いして、FBでも交友がある人だから、炎上する前に「これはやめとけよ」と言うぐらいの気づかいをすべき相手だと思う。 損得や共有してないけど、多少の義理や縁はある間柄だと思ってる。 だから、僕は再三斉藤さんがブログを再開した時に注意は促した。それはFacebookでもツイッターでも注意したから興味がある人はログを探ってください。 簡単に内容だけ言っておくと「自爆が多いのですから、ブログで身内の話、女性の話を書くのはやめておいたほうがいい」「できるだけはてな民に見られないFacebookに書き込んだ方が精神衛生上いい。特に裁判のことはFacebookのほうがずっと理

    やっぱりサイバーメガネさんにはブログをやめて欲しい - かくいう私も青二才でね
    algot
    algot 2015/03/12
    罵る側、される側も実はどちらも精神の性質は同じ。同じ人間が寄り集まり、お互いより不幸になろうと努力する