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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kkhrpen (3)

  • 文法という虚構 - 考えるのが好きだった

    授業では、けっこう「いい加減なこと」を言っている。参考書には、書いてないことを言う。でも、必ず、断っている。書いてないけど、たぶん、それで合っていると思う、と。自分の経験に照らし合わせて、上手くいくやり方だったり、考え方だったりするからだ。参考書に書いてない、と言うと、ちょっと不安げな顔をするときがあるが、覚えていてソンはない、というと、まあ、通じる。(笑) 中学、高校の時から、けっこう、好き勝手に、都合の良いように考えて使っていたものがほとんどである。文法に関する規則性が多い。あるいは、いかに間違えずに済むか、また、いかにして自分の間違いを自分で発見するか、という方法である。けっこう役に立つと思っている。大昔でも、教育実習生でも同僚でも、ふむ、なるほど、と言ってもらえたものもある。(説明すると、ちょっと時間がかかるから、授業で生徒にしか言ってないのもある。) でもね、私が、なんでぇ~??

    文法という虚構 - 考えるのが好きだった
  • 生徒が漢文を嫌うワケと素読の関係 - 考えるのが好きだった

    職員室で時折出てくる言葉に「何故生徒は漢文を嫌がるだろうか」というのがある。「勉強をすれば確実に点が取れるのに」である。彼らの多くは、まるでわず嫌いのように漢文を嫌がる。もちろん、漢文こそ点が取りやすい科目だと取り組む生徒もいる。多くは比較的優秀な生徒であるが、なぜこういった相違が生じるのか。 優秀、優秀ではないとはどういうことか、という問題かもしれない。それで、クドイと言われそうだが「偏差値55」が見え隠れするとも思っている。しかし、これでは答えになるまい。なぜ偏差値55かということになる。実は、ここに、日人独自の思考法が見え隠れするような気がしている。 漢文を嫌がる理由は、まずは、難しそうな漢字がただただ並んでいて、ワケがわからないように「見える」ことだろう。原稿用紙のマス目に「記号」がバラバラとズラズラ並んでいるように見える。しかも「記号」は、一つ一つが複雑怪奇である。その上、並

    生徒が漢文を嫌うワケと素読の関係 - 考えるのが好きだった
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    align_centre 2009/12/21
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  • 抽象化の能力 - 考えるのが好きだった

    「言葉」は、抽象化の道具で、(養老先生の講演にも出てきた内容ですが、)「リンゴ」などの具体的な物体は、「抽象化」されたとしても、さほど問題にならない。(問題にならないとは、人によって捉え方がほぼ同じ、リンゴと聞いて同じようにリンゴを想像できると言うこと。)しかし、「正義」とか「民主主義」となると、人によって捉え方が違うから、問題になる。お互い、同じ内容についてしゃべっているつもりであっても、元々の捉え方はじつは全然異なっていて、誤解が齟齬が生じてくる可能性は非常に高い。 私は、同じことが「ものの見方」にも全く当てはまると思っている。しかし、そう考えない人も多いようだ。言語は言語、日常の出来事は日常の出来事と、全く別物としてとらえ、「抽象化」が言語に置いても日常に置いても同様に考え得るものであるとは考えない人が意外にいる。(だから、物事を人に説明するときには、話は具体的に行えということになる

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