ブックマーク / amamako.hateblo.jp (7)

  • カタールワールドカップに対してどういう態度を取れば良いのか - あままこのブログ

    amamako.hateblo.jp とりあえず記録として上記の記事を書いたわけだけど、当たり前のこととして今回のカタールワールドカップに対する立場は、上記の記事で示したような、2項対立に収まる物では来無いです。 今回のカタールワールドカップや、その大会における様々な表現・活動、及びそれに参加しているサッカー日本代表への評価というものは、以下の様な要素が折り重なった中で重層的に下されるものだと思います。 スポーツにおいて反差別であったり、政治的なメッセージは持ち込んでいいのか カタールの反同性愛は「文化の違い」として容認されるべきなのか否か 日本代表を応援しなかったり、嫌うことは許されるのか しかし、スポーツというものの熱狂の中では、上記のような複雑さというものを無視して、「で、結局日本代表を応援するのしないの!」という単純な二項対立に還元されてしまいます。 そこで、敢えてそういった熱狂

    カタールワールドカップに対してどういう態度を取れば良いのか - あままこのブログ
  • 男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ

    s-scrap.com 「男性にも『ことば』が必要だ」という記事を読みました。 上記の記事は、さまざまな論点があって、それぞれの論点で賛成できるもの・そうでないものが分かれるのですが、それに一つ一つ答えていくと長くなってしまうので割愛します。 ただ、タイトルの「男性にも『ことば』が必要だ」に関して言うと、それについての僕の答えは簡単で 「男性から『ことば』を奪っているのは男性自身ではないか」 というものです。 「ことば」を発するときに「説明する理論」が必要なときとは 上記の記事では、「女性が受けている不利益を説明する言説はたくさんあるが、男性が受けている不利益を説明する言説はない」ということをもって、「男性には『ことば』がない」と主張します。 これまで、男性と女性が受ける不利益の非対称さを論じる言説は、フェミニズムによるものが大半だった。したがって、女性が受けている不利益については、それを

    男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ
  • 「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」を相手にしなきゃならない現代 - あままこのブログ

    ちなみにこのコマはですね、のび太が面白半分に呼び出した宇宙人がそれに対して抗議しているのに「なにか言ってるけど意味わかんないw」と笑ってたらあやうく宇宙戦争が起きかける話なので、受け取るべきは「理解できない話でも無視してはいけない」という教訓ですね…… https://t.co/oZqauhPQW6— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2022年4月9日 どーもドラえもんという作品は、こういう風に、作品の意図を無視して一コマだけ切り取られることが多くて、他にも「抑止力」って言葉を凄く端的に説明している辺り、藤子先生は神。 pic.twitter.com/IoocmEoUMy— 手動人形 (@Manualmaton) 2017年4月22日 すでに指摘されてますけど 「抑止力のつもりで核兵器持っても運用者(この場合は国を乗っ取った小悪党)がその通り使うわけない」 ってとこまで藤弘先生

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  • 「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ

    www.huffingtonpost.jp この記事を読んだときに、最初に抱いた感想を正直に言うと 「そんなことで傷つかれてたら何にも表現できなくなるわ」 でした。 ただ、何度も読んでいくと、 「まあ確かに当事者には傷つく人も居るかもしれないな」とも、思うようになりました。 ですが、「誰かが傷つく」ということと、「そういう表現をしちゃいけない」ということは、また別問題なわけです。 問題は、「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうかなのです。 この記事で専門家として発言を紹介されている松岡氏は、次のように論じることで、アイドルがエイプリルフールに同性婚をしたと嘘をつくことが、差別や抑圧に加担すると主張します。 松岡さんは、「『嘘』でより多くの注目を集めるためには、『あり得ないこと』が冗談としてネタに利用されやすく、差別意識や偏見が顕在化しやすい」と指摘する。 「同性愛をエイ

    「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ
  • 「物語」から疎外されるものについて(「ルックバック」の感想のような、そうでないような) - あままこのブログ

    ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ 話題になっていますね、「ルックバック」 blog.hatenablog.com www.j-cast.com 僕も無料ということで読んでみたんですが、「まあ、良いとは思うけど、そこまで絶賛されるものか?」という感じの感想でした。 ただ一方で、下記のような批判もなんか違うように感じるんですね。 anond.hatelabo.jp 統合失調症患者として、マンガ「ルックバック」に抗議します。何の説明もなく、精神障害者が殺人を犯すシーンを書くことは、まちがいなく、統合失調症患者への偏見を助長します。— 障害者雇用の働き方 (@YANA1952) 2021年7月19日 名指しで批判されている。↓は今朝書いたが、他人のツイートに触発されてのことであり、自分の認識がぬるいと言わざるをえない。物語の必然に従ってあのような犯人像が選ばれたのか、作品の価値判断

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    altid
    altid 2021/07/20
    やまゆり園のことは忘れてるんだろうなという気持ち、については目配りしておきたい。光を当てておくべき感情だと思う。
  • 「フェミニスト原則」だけでどうにもならないから今の混沌があるんじゃないの - あままこのブログ

    swashweb.net TLでは結構絶賛されていて、「真のフェミニズムってこういうことだよな」みたいなことを書かれている上記の声明文。 ただ、どうも僕は読んでいて納得がいかないんですね。 いや、良いこと書いてあるとは思うんですよ?「すべての人々が解放されるまで私たちは戦う」とか、「私たち全員が自由になるまで、私たちの誰も、自由ではない。」とか、確かにスローガンとしては否定しようがない良いことではあるし、そんな良いことに反対するツイフェミたちは悪魔なんじゃないかと、そうも言いたくなるでしょう。 でも、僕は思うんですよ。 「そんな原理原則だけでは解決できない問題があるからこそ、今の混沌があるんじゃないの?」と。 ある人・グループの人権を尊重することが、別の人・グループの人権を毀損するという矛盾 例えば、上記の声明文では、以下のように書いて、すべての人の人権が尊重されることが重要だとしています

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    altid 2021/07/15
  • 「エヴァンゲリオン」という現代のサブカルチャーの原型(シン・エヴァ感想文) - あままこのブログ

    というわけで、だいぶ前にシン・エヴァは見終わってたんですが、やっと心の中で踏ん切りがついたので、エヴァの記事でも書きますか。 「エヴァについての記事を書く」ということ自体が、何らかの立場表明だった時があった といっても、おそらく若い読者にとっては「何をそんなに踏ん切りをつける必要があるのよ?」と思われるかもしれません。別に普段アニメ映画を見てあーだこーだ言うように、シン・エヴァについてもあーだこーだ書けばいいじゃないのと、そう思われることでしょう。 でもね、今はもう「オタクなんだからエヴァ見てるでしょ?」みたいなことが当たり前に語られる時代ですが、僕がオタク自意識を芽生えさせた90年代後半〜00年代は、「エヴァについて語るかどうか」自体が、ある種その人のオタクとしての立ち位置を規定する踏み絵だったわけです。そして、どっちかというと僕の周りのオタクは、「エヴァについて真面目に語っちゃうとか、

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    altid
    altid 2021/07/01
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