酔っぱらった勢いに任せて退職した勢いで色々書いてみる。何分酔っぱらった勢いなので明日には消すかもしれない。 といってもワンテン暴露ネタとかそういうのは一切無いので、そういうのが欲しい人は他の退職エントリを読んで欲しい。 あと自分のネクストアクションを読みたい人もこのエントリでは書かない。後日、素面で書くやつを読んで欲しい。むしろこれは読まなくてよい。読むな。 と、予防線を一通り貼り終わったので書き進める。 自分としては38歳にして2回目の退職となる。 1度目は32歳の時、NEWLYというイケてるスキャナを作ってる会社からイケてるインスタレーションを作ってる1‐10designに転職するときだ。あれから6年経った。約5年ごとに環境を変えていることになる。 自分は人の別れに慣れてないのか、別れ話に対して真摯に対応できない。 挨拶を任されても茶化してしまいがちだ。すげーライトな対応をしてしまって
難波和彦氏のアレグザンダーに関する批評を読んで、いろいろ思うところがあった。これはアレグザンダーの方法や業績を概観できる素晴らしい批評なので一読することをお勧めしたい。 断っておきたいが、ぼくはアレグザンダーを詳しく読み込んだわけではないため、以下の記述はただの雑感である(と、いちおう予防線を張っておく)。 構造はどこにあるのか建築や都市は人間がつくるものである。この意味で建築や都市は思考が現実化された存在である。一般的に建築家や都市計画家は外界に存在する建築や都市、つまり対象そのものの構造を問題にする。これに対しアレグザンダーはいきなり対象に向かうのではなく、対象を記号化し思考の対象へ還元した上で、記号の構造を問題にした。アレグザンダーは、設計という営みのなかに一つの次元を発見している。それは思考パターンの問題である。都市設計がいままでツリー型で設計されてきたのは、人間がツリー型で物事を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く