東海大相模・門馬監督 低迷期のチーム改革 26年間燃やし続けた甲子園への執念 拡大 今春センバツで最多タイとなる3度目の優勝を果たした東海大相模・門馬敬治監督(51)が1日、相模原市内の同校で今夏限りでの退任を表明した。健康面に不安を抱えているため。後任は「学園に任している」と話すにとどめたが、同校OBで元巨人捕手の原俊介氏(43)=現東海大静岡翔洋監督=が有力視されている。東海大相模野球部OBの佐藤記者の思い出を語った。 ◇ ◇ 門馬監督が東海大相模に指導者として戻って来たのは、1995年春。記者が同校野球部に入部、入寮したのと同時期だった。同年の相模はセンバツには出場したが、夏の甲子園からは20年近く遠ざかっており、低迷期と言えた。村中秀人監督(現東海大甲府)のもと、改革に乗り出したのが門馬監督(当時コーチ)だった。 全体練習後の特守、特打はまさに地獄。当時は一般的に消極的だった肉体
今夏限りでの監督退任を表明した東海大相模高の門馬敬治監督=相模原市南区で2021年7月1日午後3時58分、宮島麻実撮影 甲子園を春夏4回制した、高校野球界を代表する名将、東海大相模(神奈川)の門馬敬治監督(51)が今夏限りでユニホームを脱ぐことになった。今春のセンバツに、次男の功(3年)と「親子鷹(だか)」で臨み、全国制覇を果たしたが、長男で東海大野球部主将の大(ひろ)さん(21)とも、東海大相模時代を監督と選手として過ごした。大さんに門馬敬治という人物を語ってもらった。 大さんが父の退任を知ったのは6月のこと。春季リーグ戦終了後、進路の相談のために、普段過ごしている寮から自宅に戻った時だ。リビングで妹と一緒にいると、父が落ち着いた表情で話しかけてきた。「今年の夏で監督を辞めることにしたから」。理由の一つが体調面の不安。「いつも首が痛い、痛いと言っていた」と大さん。長年の労苦も知っているだ
万引して逃走した男を追い掛けて捕まえたとして、佐賀北署は30日、佐賀市川副町福富の会社員、徳森真奈弥さん(21)に署長感謝状を贈呈した。 あれ?膝に傷…中学生4人、迷子見逃さず 徳森さんや署によると6月15日正午すぎ、佐賀市内のコンビニで男がたばこ2箱を盗んで逃走した。店の駐車場にいた徳森さんは挙動不審な男が店外に出て、さらに困った様子の女性店員も出てきたのを見て「どうしたの?」と声を掛けた。事情を聞いてすぐに男を追い掛けたという。 100メートルほど走ったところで行き止まりになり、振り向いた男に徳森さんは「逃げても意味がないし罪が重くなるだけ。一緒に謝りに行こう」と声を掛けた。男は納得した様子で抵抗しなかったという。連絡を受けて駆け付けた警察官に引き渡した。 原田崇署長は「被疑者は住居不定だった。(徳森さんが)捕まえてなかったら逮捕できなかったかもしれない」。徳森さんは「店員さんも喜んで
今春センバツを制した東海大相模(神奈川)の門馬敬治監督(51)が1日、神奈川・相模原の同校で、今夏限りでの退任を表明した。 前日の練習後、選手や保護者には伝えていた。退任の理由は「心身の不調がありました」と数年来、体調面で不安があったことを明かした。「中学、高校と相模で、大学は東海大。13歳から東海一色で、相当の思い入れがあります。即決は出来ませんでした。いろんな思いがある中で、出した答えです」と、最終的には、優勝を果たした今春センバツ後に決断したという。 今後については「未定」とした。また、後任については「全て学園、学校にお任せしています」と話した。 門馬監督は東海大相模コーチを経て、99年に監督就任。00年センバツで、監督として甲子園初出場初優勝を果たした。11年春、15年夏、今春と計4回優勝。東海大相模の地位を確固たるものにした。監督生活23年の思い出を問われると「いっぱいあって分か
物議をかもした「星野君の二塁打」 小学校の道徳教科書で、もっとも議論の対象となったのが6年生の教科書に掲載されている「星野君の二塁打」という教材である。 原作は児童文学者の吉田甲子太郎(1894-1957)。もとは1947年に雑誌『少年』に掲載された作品である。1950年代から小学校の国語の教科書に掲載され、また1970年代からは、「道徳の時間」(正式教科となる前)の副読本の教材としてもしばしば使われてきた経緯がある。今回、2社の道徳教科書に採用された。 【星野君の二塁打】 (打てる、きっと打てるぞ!) 星野君は、強くバットをにぎり直した。 (かんとくの指示は、バントだけれど、今は打てそうな気がするんだ。どうしよう……。) ピッチャーが第一球を投げ込んできた。星野君は反射的に、思いきりバットをふった。 バットの真ん中に当たったボールは、ぐうんとのびて、セカンドとショートの間をあざやかにぬい
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20歳の若さでヒットを飛ばし独立するも、社長業に追われゲーム作りから離れてしまい、「一緒にゲームを作ろう」と志を共にした親友とも決別。ゲーム会社の社長なのに10年近くゲーム制作から逃げていたが、海外ファンからの熱いラブコールに押され、齢57にしてUnityもバリバリ使いこなし現場の第一線に復帰した開発者の話 本稿では『ワンダーボーイ アーシャ・イン・モンスターワールド』の開発者、西澤龍一氏のインタビューをお届けする。 西澤龍一氏 ……といっても、『ワンダーボーイ』『モンスターワールド』といったタイトルと、その開発者である西澤氏の名前は、レトロゲームやセガハードのファンの間では広く知られているものの、年齢の若いゲーマーをはじめとする幅広い層には、少々解説が必要だろう。 まずは、以下に西澤氏がこれまで手がけたゲームのリストを掲載したので、ぜひ見てほしい。 1981年 スイマー(AC) 1983
坂口博信氏が手がける新作RPG「FANTASIAN」の前編がApple Arcade向けに配信開始。ジオラマを元に作られたフィールドを舞台に冒険を楽しもう 編集部:Chihiro ミストウォーカーは本日(2021年4月2日),Appleの定額制ゲームサービス「Apple Arcade」で新作RPG「FANTASIAN」の配信を開始した。価格はApple Arcadeが600円,Apple Oneが1100円(税込,※)。 ※Apple Oneは,Apple ArcadeやApple Musicなど4つのサービスをひとつにまとめたものになる。 「FANTASIAN」ダウンロードページ FANTASIANは,「FINAL FANTASY」シリーズの生みの親である坂口博信氏や,FFシリーズをはじめ,さまざまなゲームでBGMを手がけた植松伸夫氏ら著名なクリエイターが開発に携わる“新しいRPG”を謳
元AKB48の矢作萌夏が、今日5日の19歳の誕生日に、インスタグラムとTikTokでSNSライブを行う。 シンガー・ソングライターとしてデビューに向けて、本格的に再始動するにあたり、日刊スポーツの取材に応じた。【大友陽平】 ◇ ◇ ◇ 「お久しぶりです!」 先月9日にSNSで復帰を示唆し、その後はオリジナル楽曲の弾き語り動画などをSNSに投稿していたが、姿を見せるのは卒業後初めて。体形もスリムになり「卒業してからの1年半で、筋トレや食事制限をしたり、岩盤浴にも通って、ダイエットも頑張りました。健康的に“米俵”ぐらいはやせました!」と愛嬌(あいきょう)たっぷりに笑った。 18年にAKB48加入後、史上最速でソロコンサート開催や、シングル「サステナブル」でセンターを務めるなど、次期エースとして期待されたが、昨年2月に卒業。卒業当初は大学進学を目指していたが、「AKB48グループ歌唱力N
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