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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (9)

  • 信じる力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 疑うよりも信じること。信じることによってしか人は何事も為すことはできない。 能力のなさとは何より信じる力のなさではないだろうか。疑ってばかりでは何もはじまらない。はじめないからこそ、余計に不安になり、信じられなくなる。そのことは「不安はなぜ起こるのか」でも書いたとおりだ。方法と信頼あるやり方を自分のものにできるかはまず、その方法を信じられるかどうかで決まる。ある製品を何も考えずに操作できるようになるのが、操作に対するほぼ全面的な信頼が生まれた時であるのと同様、ある手法を使えるようになるためにはその手法を信じることからはじめなくてはならない。 ところが(というか、だからこそ)、できない人ほど新しい方法が目の前に提示された時、とりあえず試しにやってみようとするより、その方法を疑

  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

  • 2009-11-08:松丸本舗: DESIGN IT! w/LOVE

    松丸舗は、140年の歴史をもつ丸善と松岡正剛さんのタッグによる実験的書店です。 10月23日にオープンするのもそれ以前から知っていたし、松岡さんがどんな屋を作るんだろうかと興味があったので行こうとは思ってました。 でも、10月23日以降も一度丸善に行って3階まで上がったにも関わらず、その日は行かなくてもいいなという気がしてもう1フロア上がることはせずにスルーしたりもしたんですよね。なんとなくニュース的な扱いをして見物に行くのはいやで、もっと自然に屋に立ち寄る感じで行ってみたかったんです。それで今日丸の内に行ったついでに、ようやくお邪魔してみたというわけ。

  • 自分がいいと思うモノをつくれ!: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ものづくりをする人がアンケート調査に頼ったり、ユーザーの意見を必要以上に気にするのをみて、たまにがっかりさせられることがあります。 それは完全に調査をする目的を誤解しています。 ユーザー中心だとか、人間中心だとかいいますが、別にそれはユーザーがどういうデザインを評価するかといった意見をきいて、ものづくりをしろなんていう話ではありません。「なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。」 それ以前に、ものづくりをする側が何をつくるのがいいと思うかという考えがなくてはお話になりません。それがないがゆえに、やたらとアンケートで人びとの声を聞きたがるし、ユーザーの評価を気にしすぎる。どっちがものづくりの主体なの?って疑問に思います。 他人の意見に左右される前に、自分がいいと

  • 企て。: DESIGN IT! w/LOVE

    「企て」が人びとの「行動」を未来の目的につなぎとめることで、現在時における人の生から「行動」を意識を切り離してしまう。 『デザイン思考の仕事術』という、デザイン=企てに関するを書きながら、同時に、そこに文化だとか生だとかいうことをキーワードとして盛り込んでもいるがゆえに、その最後に僕が「デザインしすぎない」という断章を置かざるをえなかった理由がここにあります。 現在にありながら現在を生きていない僕は「デザインしすぎない」という断章で、こう書かざるをえませんでした。 しかし、デザインしすぎてもいけないのだと僕は思います。自分のまわりが固定された人工物ばかりだと、人間自身が変化するものだということを僕らは忘れてしまいがちです。自分自身まで固定してしまい、自分の固定観念の外に出られなくなる。そうなってしまうともはやデザインすることもできなくなります。 さらに続けて「どこかにデザインされていない

  • 点の思考、線の思考: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 みなさん、思考する際に、静止した点で考えていないでしょうか。 動かない固定された何かを過程して話をしたり、最終的なアウトプットや結論ばかりを重視しすぎてはいないでしょうか。 思考の過程そのものが重要で、思考する過程を共有することが最終的な結論や定義を共有することよりも意味のあることだということに気付いてらっしゃるでしょうか。 行く川のながれは絶えずして機械やシステム、その他、人間がつくったモノが相手であれば、それでも構いません。しばらくほっといても、そうしたモノは変化しないのですから。いったん定義した機能や形態はそうとう時間が経たない限り変わりません。それなら静止した状態でモノを考えても困りません。 しかし、それが人間や生物なら違います。 この季節なら庭はちょっとほっておけ

  • ユーザー理解とは―: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ユーザーを理解するというとき、その「理解」というものを間違った形でイメージし、理解しているケースが意外と多くみられます。とりわけ多い間違いは、ユーザーとなりえる人の人となりすべてを理解することが、ユーザー理解だと思ってしまうことではないでしょうか。あるいは、漠然と理解するというだけで、何を理解しようとしているのかのフォーカスがなかったりすることもあります。 そもそも、特定の人間のすべてを理解するという漠然としたイメージでそもそもどんなことを理解しようとしているのかもよくわかりませんが、普通に考えて、ひとりの人間のすべてを理解することなんて、そうそうできるはずもありません。長年付き合いのある友人や家族だって、その相手のことを理解できているなんていえないでしょう。 それなのに、

  • 方法依存症2: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうしたらいいかと思うようなことは、たぶん、どうもしなくていいことか、どうにもならないことなのだと思う。 逆に、どうにかしなくてはいけないことなのだとしたら、どうしたらいいかなどと考えているひまがあったら、とっととやったほうがいい。 どうも考えるということを誤解している人が多いのではないか? 実行のともなわない思考はただの時間の浪費でしかない、というのに。 思考即行動頭と身体がバラバラです。自分の身体を見失ってしまっています。 悪い頭にひっぱられて、優秀な身体まで来の能力をどんどん劣化させてしまっています。 当にわかりたければ、わかる前にいわれたとおりに自分でやってみて自分を事例にするしかありません。やってみて何も変わらなければわかっていないということですし、やってみて

  • アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと: DESIGN IT! w/LOVE

    これも立派な意見だと思うんですが。 さて、問題は、自分の意見がない場合だ。そういう場合も当然意見が少なくなる。自分はどちらかというとこちら側にあてはまるかもしれない。おそらく何を考えればいいのかがぶれてしまうのだ。 意見をいわなくてはいけないとか、むずかしく考えすぎてるんじゃないでしょうか? そりゃ、時が来れば自分の意見を求められる場面もあると思いますけど、アウトプットを増やさなくてはいけないのは、そんなタイミングじゃないんですね。もっと前、ずっと前の段階です。自分の意見を言わなきゃなんていう最後のタイミングのことばかり考えちゃうから間違うんですね。 むしろ、アウトプットができない人がまずやるべきなのは、相手が話しているあいだの自分のインプットを増やすことだと思います。 ようは次の3つ。 オウム返しをする質問をする相手の話の良いところをほめる ここでいう相手は、あなたに何か課題をあたえる人

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