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2009年1月12日のブックマーク (12件)

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    ドットインストール代表のライフハックブログ

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  • asahi.com(朝日新聞社):アートで不況吹っ飛ばせ 障害者作品を展示 埼玉・行田 - 文化

    アートで不況吹っ飛ばせ 障害者作品を展示 埼玉・行田2009年1月8日15時0分印刷ソーシャルブックマーク 緑内障を患って視力がほとんどない橋美紀子さんの作品。支援者にイメージを伝えてパステルを手渡してもらうを描いた原口さんの出展作品。ひげはないが、緑やオレンジ色の長い髪の毛がある作業所で絵を描く原口めぐみさん=埼玉県行田市 重度の知的障害者ら約20人が独自の感性で描いた水彩画や切り絵の販売営業を目的にした展示会が10日から、埼玉県行田市で始まる。不況の影響は障害者が働く軽作業の現場にも押し寄せている。少しでも収入の糧になればという。 主催するのは、NPO法人「CILひこうせん」(行田市)。同法人が運営する作業所など県内4市1町の6施設に通う知的、身体障害者の70点が展示される。展示会での直接販売はないが、出展をきっかけに作品やポストカードなどを売り込みたい考えだ。売り上げの4〜6割が

  • asahi.com(朝日新聞社):モンチッチ35歳 限定バージョンが完売続き - 社会

    モンチッチ35歳 限定バージョンが完売続き2009年1月12日10時26分印刷ソーシャルブックマーク 完売したモンチッチ「ニューイヤーバージョン」=横浜市中区山下町の横浜人形の家 今月26日に誕生35年を迎えるぬいぐるみ「モンチッチ」の限定バージョンが11日、横浜人形の家(横浜市中区)で売り出され、午前10時の開館直後に完売した。人形の家では昨年12月からモンチッチの企画展を開催中で、同月の限定バージョン2種も完売していた。25日には4種類目が発売される。 モンチッチは、東京都葛飾区の人形・ぬいぐるみメーカー「セキグチ」が、モンチッチくんとモンチッチちゃんが双子という設定で74年に発売。欧州やアジアでも人気を呼び、これまでに全世界で4千万個以上売れたという。 この日発売されたのは、「YOKOHAMA」のロゴと誕生からの年「35」の背番号が入った白いTシャツを着た「ニューイヤーバージョン」で

  • asahi.com(朝日新聞社):ご飯給食を週4回に 文科省、23年ぶりに目標見直し - 社会

    ご飯給を週4回に 文科省、23年ぶりに目標見直し(1/2ページ)2008年12月31日3時2分印刷ソーシャルブックマーク 学校給でご飯を出す目標値が、週4回に増えそうだ。23年前に決められた「3回」が全国平均で達成されたことが分かり、文部科学省は今月、引き上げる方針を示した。ただ、パンに比べてご飯はコストがかかり、一部の地域では給費の値上げにつながる可能性もある。滞納が問題になり、不況が深刻さを増すなか、国が一律に回数を決めることに対して、困惑の声も上がる。 戦後にコッペパンと脱脂粉乳を中心に始まった学校給で、「米飯給」が正式に導入されたのはコメ余りが深刻な問題となっていた1976年。当時は週0.6回が平均値。85年には平均1.9回になったが「日の伝統的習慣を教えるため」として、「週3回」が目標とされた。 近年は育基法の制定やへの関心の高まり、学校で伝統文化や郷土の産品

  • asahi.com(朝日新聞社):北朝鮮に残した娘、63年待ち続け… 母、99歳で死去 - 社会

    北朝鮮に残した娘、63年待ち続け… 母、99歳で死去(1/2ページ)2009年1月11日6時7分印刷ソーシャルブックマーク 昨年8月、99歳(白寿)のお祝いをした時の丸山ヒサ子さんと毅さん=横浜市の自宅、毅さん提供 1945年8月の敗戦前後の混乱で離ればなれになり、北朝鮮で暮らす娘との再会を待ち続けた横浜市の母親が、昨年暮れ、念願を果たせないまま逝った。丸山ヒサ子さん、享年99歳。戦後64年、戦争の傷跡は消えない。 丸山さんが願い続けていたのは、長女の節子さん(79)との再会。北朝鮮の清津市で暮らしている。 丸山さん一家は、戦中、朝鮮半島の開城で、果樹園を経営していた。節子さんの女学校の卒業のお祝いに、45年6月末に夫が節子さんと次女を連れて中国・東北地方(旧満州)に旅行に出かけ、そのまま戻ってこなかった。 丸山さんは後ろ髪を引かれながら、46年の冬に3人の息子を連れて日に引き揚げた。廃

  • 小学生へ

    オジサンは、もうすぐで就職して1年目になる社会人だよー。 一応上場って言ってね、株式を公開(会社のためのお金をみんながお金を出しあえる仕組み)してる会社なんだけどね、おおきさは地方のスーパーマーケットくらいのものを作る会社で、そこの人事っていうお仕事をしてるよ。 人事ってね、どの人をどこの班に入れたらいいかなーって考えるお仕事だよ。 そして、会社の仕組みをしったんだ。 役員と呼ばれる人たちは、全員、どこかの銀行からの天下り(あまくだり)らしい。天下りってね、とくに苦労もせずに会社の偉い人になれるっていう仕組みだよ。ずっとその会社で頑張ってきた「生え抜き」って呼ばれる人は、執行役員っていう、オジサンは詳しくは知らないんだけど、あんまり偉くない役員にしかなれないんだ。社長とかね、当に偉い人はすべて銀行の出身者なんだよね。これが天下りだよ。そうだね、大人の必殺技って感じかな。世間知らずなオジサ

    小学生へ
  • 『としょかんライオン』ミシェル・ヌードセン さく ケビン・ホークス え 福本友美子 やく(岩崎書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • asahi.com(朝日新聞社):ジョン万次郎の家保存へ 日野原医師の募金活動1億円に - 文化

    ジョン万次郎の家保存へ 日野原医師の募金活動1億円に2009年1月11日12時46分印刷ソーシャルブックマーク 江戸後期に米国の捕鯨船に助けられた土佐(高知県)の漁師ジョン万次郎こと中浜万次郎(1827〜1898)が米国で暮らした家が5月、「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」になる。歴史資料も展示し、日米友好の交流の場として保存されるという。 1841(天保12)年、14歳で遭難した万次郎は捕鯨船で渡米し、マサチューセッツ州の港町フェアヘーブンにあるホイットフィールド船長の自宅で暮らした。屋根裏部屋に住みながら、小学校から私立高校に通わせてもらい、数学、航海術、測量術などを学んだという。10年後に帰国し、江戸幕府の遣米使節団に通訳として同行するなど、初期の日米関係の発展に尽くした。 ホイットフィールド家は築200年ほどで今は誰も住んでいない。聖路加国際病院の日野原重明理事長が07年、米

  • asahi.com(朝日新聞社):元タカラジェンヌ、捨て犬救い続け20年 ファンが協力  - 社会

    元タカラジェンヌ、捨て犬救い続け20年 ファンが協力 2009年1月11日21時46分印刷ソーシャルブックマーク 救った犬たちと散歩に出かける瀬戸内美八さん=徳島市末広5丁目、花房写す 宝塚歌劇団の星組トップスターだった瀬戸内美八(みや)さん(61)=徳島市在住=は、捨て犬や野良犬を見つけると連れ帰り、長年のファンたちに引き取ってもらっている。20余年間で約70匹。自らもいま20匹を飼っている。飼い主に見放される犬がいなくなることを願いながら。 瀬戸内さんが徳島市内で運営する「ダンススタジオひまわり」。室内で4匹、外では16匹の雑種犬が遊ぶ。瀬戸内さんが近づくと、みんな飛びついてくる。「チョロ〜、いい子だねえ」「クロ、そんなにほえないの」。スタジオの建物を囲むように犬小屋が並んでいる。 宝塚時代は鳳蘭さんの後を継いで星組の男役トップとなり、同時期に松あきらさん、麻実れいさんらと人気を競った

  • asahi.com(朝日新聞社):あの子は「献血はアンパンマンのエキス」って 母の感謝 - 社会

    あの子は「献血はアンパンマンのエキス」って 母の感謝(1/2ページ)2009年1月11日11時20分印刷ソーシャルブックマーク 病院に外出を許され、妹と遊ぶ崚介君=家族提供崚介君の母親と会い、生前の写真を見つめる楽天の田中将大投手(右)=神戸市 小児がんと闘った4歳の長男に、献血という「アンパンマンのエキス」をくれてありがとう――。神戸市の母親(34)が献血ルームのノートにつづったメッセージに共感の輪が広がっている。プロ野球・楽天の田中将大投手(20)も心を打たれた一人。10日に市内であった献血PRイベントの後に母親と会い、献血の意義をかみしめた。 髪の毛が一もない男の子が妹と抱き合っている。「こんなにいい笑顔の子が……」。田中投手は母親が差し出した写真を手にして声をつまらせた。 男の子は崚介(りょうすけ)君。小児がんで10カ月の闘病の末、01年7月に亡くなった。治療中は赤血球や血小板の

  • asahi.com(朝日新聞社):形見のランドセル 弟「ぼくが使う」 阪神大震災 - 社会

    形見のランドセル 弟「ぼくが使う」 阪神大震災(1/2ページ)2009年1月11日8時37分印刷ソーシャルブックマーク 漢之君のトレーナーと帽子を身につけ、ランドセルを背負った凜君(左)と勝之さん。凜君は時々、漢之君の服を着て小学校に通っている=福井市の自宅前「米津漢之」と書かれたランドセル。ふたの裏の革が傷んできている 阪神大震災で小学校1年生のときに亡くなった兄のランドセルを、震災後に生まれた弟が背負って小学校に通っている。形見として13年間、棚の奥に大切にしまわれてきたが、昨年4月に1年生になった弟が「ぼくが使いたい」と入学前に言った。少し古くなった黒いランドセルが、小さな背中で再び弾んでいる。 4人家族だった会社員米津勝之(かつし)さん(48)一家は14年前、兵庫県芦屋市で被災した。木造アパートが全壊し、倒れてきたたんすの下敷きになって長男の漢之(くにゆき)君(当時7)と、幼稚園児