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内田樹とレヴィナスに関するamenotorifuneのブックマーク (3)

  • 声を聴くことについて - 内田樹の研究室

    朝8時半から講堂で中高部の生徒たちのために奨励。 「奨励」というのは、キリスト教の礼拝の中で、聖句をひとつ採り上げて、それに基づいてお話を一つすることである。 私が採り上げたのは、『コリント人への手紙一』7:24 「兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の前にいなさい」という聖句である。 私はこの聖句から「召命について」という奨励を行った。 レヴィナス老師が教えるように、聖句の意味を知るためには、必ず前後の聖句を読まなければならない。 聖句の意味は文脈依存的だからである。 7章は性愛と結婚についての教えが書かれている。 基的な考えは「夫はを離別してはならない。は夫と別れてはならない」ということである。 結婚したら、「そのまま」でいなさいというのが聖書の教えである。 与えられた状況でベストを尽くせ、と。 「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(7:20)

  • レヴィナス先生、こんにちは - 内田樹の研究室

    ゲラの山が二つに減ったので、レヴィナスの『困難な自由』の校正にとりかかる。 今年のはじめくらいに受けとったまま、次々やってくる急ぎのゲラに押しやられて、これまで日陰の身に甘んじていたのである。 すまない。 私ののゲラなんか、ほんとはどうだってよいのである。 レヴィナス老師の翻訳を一日でも早く出すことの方が出版史的には比較を絶して重要性が高い仕事なのであるが、なかなか世の中はそのような常識が通らないのである。 今回の『困難な自由』は1963年の初版を底としている。 これはもう入手が不可能であろうと思われていたのであるが、奇跡的に発掘されたのである。 そしてここには再版では削除されていた論文が七つ収録されている。 これは今回はじめて訳出される。 再版に際して削除した理由はよくわからない。 論文のいくつかはソ連型社会主義とそれに拍手を送っていたフランスの左翼知識人に対する批判である。 195

  • l'un pour l'autre - 内田樹の研究室

    朝の入試委員会に出ているうちにぞくぞく寒気がしてきた。 おお、風邪の引き始めだ。 午後ずっと会議が続いて、夜は教員送別会である。このまま夜の9時までとてももたない。 最初の委員会が終わったところで学長室と文学部事務室に「午後からの会議は休みます」とお届けして、タクシーを呼んで帰宅。 パジャマに着替えて午後2時にベッドに入る。 そのまま眠り続ける。 翌日の午前4時にあまりの空腹に目覚める。 夜明け前にご飯を炊いて、味噌汁を作って納豆と生卵でぱくぱくべる。 腹一杯になったらまた眠気が襲ってきたので、ふたたび眠る。 10時頃よろよろ起き出したら頭痛も微熱もすっかり消えていた。 疲れていたのである。 日経から電話がかかってきて、アポなし電話取材。 どうして若者たちは働く意欲がなくなったのでしょうかというお訊ねである。 それは彼ら彼女らが「自分のために働く」からであるとお答えする。 労働はほんらい

    amenotorifune
    amenotorifune 2007/02/12
    般若心経なんだな
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