猫と暮らしてコミュニケーションを学ぶ テラヤマアニ氏の「猫を飼え」という提案が気になるのは、個人的な経験として、かつて猫を拾って一緒に暮らした頃の自分と、今の妻と出会って付き合い始めた頃の自分に、何か奇妙な既視感というか、重なりを感じるためだ。 猫とのコミュニケーションは、対人コミュニケーションが苦手な人にとって、その練習になる。必ずなる。そのつもりでやれば。しかしテラヤマアニ氏の猫に関する説明はいささか乱暴で、あれでは分かる人にしか分からないだろうし、またご本人のサイトではなんだか流れが変わっているので、ここで多少の補足等を試みたい。自分語り風にしてみたが、つまらなかったので没にした。エッセンスだけ箇条書きで。 ●話の前提として 猫は人間の「他者」よりもシンプルなロジックで動く「他者」である、と考えると、猫は「他者とのコミュニケーション」を練習するための格好の相手となりうる 猫は人間の
■非モテ女はなぜ語らないのか? 「しゃれにならないから」という意見も見たが、自分がどれだけモテなかったかというようなことはプライバシーに属することで、わざわざ公言するようなことではない、と考えている人もいると思う。 でもまーちらっと語ってみますと、私は自分の年齢と彼氏いない暦がぴったり同じだ。結婚? していないし、したこともない*1。 雑誌でたまにやっているその手の特集なんか見ると、非モテと言いつつ、デートしたことはある(しかし恋愛関係にまではいたらなかった)とかいう人が出ていたりするが、私はデートすらしたことがないぞ。デートしたことがあるのに非モテを名乗るなんて、私に言わせれば詐欺だ。フォークダンスのときに男子が手をつなぐのを嫌がって目の前でげろを吐くふりをするとか、片思いの相手に告白したら「お前にだけは好かれたくない」と面と向かって言われたとか、そういう体験してこそ真の非モテ女ですよ。
ネガ喪にアドバイスは微妙 前回の記事に寄せられたはてブのコメントから、id:oya03さんに返信。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050830/1125351516 oya03 『技術を磨きなよってアドバイスをすると怒られるけどそれも軽蔑や非難の内に入るのかな。』 「軽侮や非難」には入らないと思うんですけど、「モテたいわけではないけど、非モテだからといってキモがられるのは嫌だ。非モテのままでそっとしておいて欲しい」と言っている非モテに対しては、「価値観の押し付け」と感じられ、嫌がられる可能性はありますね。 この手の「ネガ喪*1」の愚痴っていうのは、「解決」じゃなくて「共感」を求めているんですよ。だから、相手が甘ったれたこと言っているように見えても、「アドバイス」じゃなくて「共感」をメインにしたほ
「性欲の乱費は君自殺だよ、いゝ仕事は出来ないよ。瞳だけでいゝぢやないか、触れて見なくたつていゝよ。性愛の墓場まで行かなくともいゝよ」 「おれは、たまらなくなると野原へ飛び出すよ、雲にだつて女性はゐるよ、一瞬の微笑みだけでいゝんだ」 「さうだなあ、新鮮な野の朝の食卓にだな露の様に降りて来て、挨拶を取りかはし、一椀の給仕をしてくれて、すつと消え去り、又翌朝やつて来るといつた様な女性なら結婚してもいゝな」 (『童貞としての宮沢賢治』押野武志/ちくま新書より) なる名言を残したことで、生涯童貞作家としても再評価の声が高まっているようです。そんな賢治が書いた童話「土神ときつね」は、樺の木をめぐって、土神と狐が恋のさやあてを繰り広げるお話です。 鳥たちもこぞって停まりたがるきれいな樺の木には2人の友達がいました。「ごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやう眼も赤くきものだってまるでわかめに似、い
大学生が、レポートをどっかのサイトから拾ってきていてけしからん、という話。 ARTIFACT@ハテナ系 - 大学のレポートのコピペ問題あたり参照。 よく知らないが、どーせ、ネットがなかったころだって学生だって本やら先輩の過去レポートやらを写したりしてたんじゃないのか? はてなキーワードの線が残っているとか、「先日書いたように…」などの文章が残るなんてのは、コピペの気軽さから起こるミスなわけで。 さらに、グーグルが出来たために、教授側がモトネタを発見しやすくなったからこういった問題が浮上しているんだろう。 こういうのをとりあげて「最近の若者はけしからん」と言う人が時々いるわけだが、ちょっとズレてるよなぁ。 モテ男性を観察していると、自分との技術差に驚く。 「○○ちゃんって小雪に似てるよねー」とか、どうしてそう的確な嘘が言えるのだ。「小雪」なのは全体の5%くらいなもんで、95%は別物であり、ど
http://d.hatena.ne.jp/pippi/20050828#1125165226 俺の言いたいことはKammy+さんがコメントで全て言い尽くしている。「女は非武装でも全て敵」とかね。 ああしてエッセンスを抜き出して書いてあると、とんでもなく過激に人としてダメな感じに見えるけど、実際そうなのである。前にも引用をしたけど、「俺の彼女になってくれないなら同情なんていらないよ近寄るな」みたいな感じなんだよ、スイッチが入った状態の非モテ男子ってのはね。被害者モードとでもいおうか。その状態では誰が何を言っても無駄無駄。「そうやってまた俺を馬鹿にするのだろう」と逆切れするだけ。俺それで何十回切れたか覚えてないもん。 それにしても、話が大きくなっていろいろ飛び火したからなのかコメントで炎上したからなのか異様にへりくだっていてそこが不満だ。あとからぐじぐじぐじぐじ長ったらしい言い訳するのは見苦
■ブログに足りないもの ちょっと(けっこう?)前、数名のブログ書きと飲んだくれていて、「ブログに足りないものはなんだろう?」という話になった。 細かいことは忘れてしまったけれど、あれが足りない、これも足りない、とヘラヘラと紛糾する議論のあげく、われわれは「それこそがまさしくブログに足りないものにほかならない!」と、とある合意にたっした。 全員一致で「ブログに足りない」と認めたもの。 それはいったい何か? それは…… 徳大寺有恒! そう、ブログにもっとも足りないのは徳大寺有恒だったのだ! 意味がわからないと思った君は人生にまだ哀しみが足りない。大藪春彦も西村寿行も北方謙三も足りない気がするが(キタカタはけっこう間に合っているかソープへ行け!)、何しろいちばん足りないのがトクダイジであることに疑いの余地はない。 納得のいく結論を得られたことに深く満足したわれわれは、トクダイジがいかに偉大である
恋愛ニートって? 人は誰でも初対面の人と出会う時、いくつもの予感を感じながら出会うものです。 例えばビジネス的な広がりの予感、楽しい友情が生まれるような予感、恋の予感、人生のお手本になってくれそうな予感、様々な予感が出会いの瞬間をわくわくさせてくれます 大人の場合、この予感を多く感じさせてくれる人ほど、魅力的なものです。 独身同士でいうと「恋愛の予感」というものはとくに魅惑的なものです。 ところが、出会いの瞬間に、全く「恋愛」のこの予感を感じさせない女性がいます。それが「恋愛ニート」な女性です。 恋愛ニートとは、その文字通り、恋愛を完全に放棄した人のことをいいます。この手のタイプの女性は実は共通した雰囲気を持っています。 恋愛ニートな女性の共通点 一般的な表現をするとするならば、誰が見てもわかるようにフェロモンが完全に枯れた雰囲気をもっています。 会話の内容、声のトーン、一緒にいる友達、視
歴史を書かない女性たちについて終わらない夏というモテ・非モテを語った記事と関連があるのでは? との指摘がありましたが……私には理解できませんでした。 モテ・非モテの話題はオタク方面で人気ありますけど、自分自身の問題としては切実感ないです。私はある時点でアドレス帳を捨ててしまったのだけれども、それは何故かといったら、人間関係を維持することが煩わしくなったからでした。よーく考えてみたところ、「私にとって、人とのつながりの価値は、維持コストに見合わない」という結論に達したのです。(参考?) だいたい虫唾が走るくらい電話が嫌いなのに、電話番号を交換するなんて馬鹿げています。メールなんて面倒くさすぎて書く気がしないのに、アドレスを教えてもらっても意味がない。全然興味ないのに服屋へ行くのもアホらしい(ただ着るだけの服ならスーパーの通路沿いのカゴから拾えばいい/安いしね)。土日は出かけたくないのに外出の
もの凄く今更な話を蒸し返します。既に非モテ話は流行遅れのようですが…。せっかくいいコメントやTB頂いたのに、放りっぱなしになってしまっていて、やっぱりこのままでは申し訳ないかも…とどうしても気になって。簡潔に書こうと思って端折った部分が、逆に表現がまずくなってしまった事が多いので、かなり言い訳がましく、くどくなるとは思いますが、補足させてください。 前回も書きましたが、そもそもこの話はユリイカの「オタクVSサブカル」の感想文から派生してるのです。私が最初に想定していた「読者」は、この本を読んだ人や興味がある人、だったんですよ。読んでない人にはいまいち説明不足で、「オタクはサブカルを妬んでるって事?」とか書いてあるとカチンと来たかもしれませんが、それはあくまでもこの本の内容の話なので…。で、この執筆陣の方達も、これを積極的に買おうという読者層にも、オタクもサブカルも縁のない「一般女子」と直に
「モテVS非モテ」をめぐって、ブログ上での男女側双方の意見がすれちがい、なんだか迷走している。 「オタクでも『電車男』のように外見をかえればモテた→女は顔で男(人格)を判断」という(男性側)解釈に対して、女性側として「オタク=キモいからモテないというのではない→もっと女性の話しを男性は聞くべきだ」という意見が提示された。 女性の知的コンプレックスが減退し、「一緒にいて面白い人」「女にバカであることを期待しない人、もしくは一緒にバカをやってくれる人」がモテる時代が到来した。 堀越英美『ユリイカ 2005年8月増刊号 総特集 オタクvsサブカル! 1991-2005ポップカルチャー全史』 男子はもっと女子の話に耳を傾ければきっとずっとモテると思う。モテ/非モテは相手のことを想像できるかできないかが鍵ですよ。 http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20050815/1
本当はこの話題はもう終わりにしたかったんですが、質問も頂いちゃったし、恐らく「一体何があったの?」ってワケわからない人も多いと思うので、また長文になってしまうかもしれませんが、一通り説明します。興味ない方はさっさとスルーして下さいね。 まず、一連の私の文章は、オタクVSサブカル(ISBN:4791701372)という本の感想から始まっている事が前提です。そして個別の記事しか読んでない方がいるかもしれませんが、できればid:pippi:20050814#1124029206、id:pippi:20050816#1124203053、id:pippi:20050817#1124279053を全部読んで頂きたいです。なぜ私がこういう文章を書こうと思ったかというと、最近モテ非モテ関係の話がネットで盛り上がっているけれども、女性の意見というのがとても少ない。女性不在のまま、「女はオタクが嫌いだ!女は
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