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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (3)

  • 中絶が「女性の権利」である理由 - 烏蛇ノート

    今回は久々にLeiermann氏のこちらの記事より引用。 そして、中絶が紛れもなく子殺しであり、最悪の児童虐待であることは知っておくべきだ。無論、出産が母子いずれかに生命の危険を伴うといった場合、あるいは性犯罪などによって妊娠させられた場合、出産しても子供を育てられる可能性がない場合などはある程度中絶も仕方がないかもしれないし、これを子殺しと呼ぶのは酷だろう。実際現行法では、これらの要件のみに限って中絶を認めているのである。 だが、現実には、年間出生数が百万前後で推移しているのに、中絶は統計に表れただけで数十万件も行われているのである。これはもはや大虐殺と言ってもよい。母体保護法の過剰な拡大解釈は、憲法だの教育法だのよりもはるかに由々しき問題ではないのだろうか! にもかかわらず、多くの「フェミニスト」達は「中絶は女性の権利」だなどと平然と主張する。正直、人格を疑ってしまう。男の「自分の

    中絶が「女性の権利」である理由 - 烏蛇ノート
    amiyoshida
    amiyoshida 2006/06/15
    外国みたいにピルを解禁にすればいいのに。
  • 「文化系女子論」と「萌え」の構造(2) - 烏蛇ノート

    前回の記事について、「萌え」という語そのものをめぐって議論が迷走しそうな感じがするので、改めてまとめておくことにします。 私は、今回の「文化系女子論」をめぐる話で「萌え」という語が問題になったのは、以下のようなプロセスの結果だと考えています。 「文化系女子」という概念が「ダ・ヴィンチ」等によって「男性視点からのものとして」流布された。 ネット上で語られる「(男性から見た)文化系女子」像に反発した人達が、これを「萌え」という言葉を用いて表現し、批判した。 「萌え」という言葉に深くコミットする人達が、「萌え」という概念自体へのバッシングを危惧し、これに反発した。 加野瀬氏や吉田アミ氏などは「萌えバッシング」を危惧する立場に立っているように見受けられます。しかし、これはやや見当はずれの見方で、「萌え」という言葉が使われていなくとも「文化系女子論」への反発は起こったでしょう。前回述べたとおり、「ダ

    「文化系女子論」と「萌え」の構造(2) - 烏蛇ノート
    amiyoshida
    amiyoshida 2006/05/16
    コメントしました。
  • 「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート

    文化系女子論をめぐる論争については、当のMasao氏も謝罪したことだし、あまり余計なことは言わずに黙っておこうと思っていたんですが、kmizusawa氏に対するLeiermann氏の反論記事を読んで考えを改めました。 文化系女子論をめぐる議論の流れについては、utsutsu氏がこちらとこちらでまとめておられるので、初めて見る方は参考にしてみてください。 Leiermann氏は一連の「文化系女子萌え」騒動に関して次のように述べています。 正直な話私自身はこの件自体に関してはどうでもよく、「好みのタイプ」「理想の異性」という話は、深いところでは無意味であると考える立場だ。そのようなことをいくら妄想していても、実際に好きになってしまう相手はそういう「理想」とおおよそかけ離れた人であることが世の常だと思うからである。 だから、このような話は所詮は与太話であり、ただの戯言と聞き流せばよいはずである。

    「文化系女子論」と「萌え」の構造 - 烏蛇ノート
    amiyoshida
    amiyoshida 2006/05/15
    萌え」を語る人達が「人に面と向かって使わない」という「萌え」の最低限の礼儀を無視し、そこで生じる迷惑にも気づかないほどに鈍感であったことが、「文化系女子萌え」を「問題」化してしまった…メガネ男子萌えも
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