私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 食べたいと思ったら食べたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつが食べたいと思えば、あんみつは今すぐ作って食べなくてはいけないものになる。食いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…
チベット問題との温度差をすげえ感じた - NC-15 先住民や被征服住民の問題は、ほとんどの国にあって、オンかオフかで言えば、いずれもオン。 けれども、だからこそ注意しなければならないのは「どっちもどっち」「いずこも同じ」なる相対化を行い、目前の暴力行為に沈黙をしてしまう、沈黙を強要することだ。 中国政府が行っているチベット支配は、暴力を伴わなければ為し得ないものだし、その程度は甚だしい。中国政府の成す歴史的な問題提起は、現実に中国国内で非常に抑圧的な圧政が敷かれているという状況をエクスキューズする効果を持っている。 それを考慮すれば、60年前の戦争犯罪の摘発には熱心でも、現在の抑圧に対する抗議にはそうではなく、しばしばそうした抗議や異論の声をレイシズム扱いしてこと足れりとしてきた左翼の人たちが、チベット騒乱の発生以来、右往左往するとともに信用が失墜しているのも、あたりまえといえばあたりま
昨日、大手SIerの方々と話をする機会があって、そこで出てきたのが、「誰が書いても同じコード」になることが重要で、それを実現するために、ドキュメントをいっぱい書かなくてはいけないという話。大手SIerは、大体同じことを考えていると思います。 でも、「誰が書いても同じコード」にするってのは、そもそも無理だと思うんだよね。そうやって、わざわざドキュメントをたくさん書かせても、めためたなコードを書くやつはいて、総合テストするときに、現場は燃え上がるもの。ある程度の規模以上のプロジェクトなら、どこでもそんな感じじゃないかと思います。 重要なのは、「誰でもメンテナンスできるコード」にすること。そのために、コーディング規約は、きちんと決めてみんなで守る、それ以上は、がちがちに縛る必要はない。 がちがちに縛るために、設定ファイルをたくさん書かせたり、必要以上のドキュメントを書かせるのは、一定の品質を確保
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