タグ

2021年8月25日のブックマーク (2件)

  • 「ワクチン接種3カ月で抗体量が4分の1に減少」 藤田医科大学が発表、ファイザー製を調査

    新型コロナウイルスのワクチンの接種から3カ月後に、抗体の量が減少したとの調査結果を、愛知県豊明市にある藤田医科大学が発表しました。 愛知県豊明市にある藤田医科大学は、ファイザー社製のワクチンを接種した大学の教職員209人を対象に、血液中のウイルスに対する抗体の量を調査しました。 1回目の接種から3カ月後の抗体の量は、2回目の接種から14日後と比べ、約4分の1にまで減少しました。 「接種後3カ月ぐらいの時点で割と急激な減衰がみられて、その後少しずつ下がっていく」(藤田学園 新型コロナ対策部 土井洋平 対策部長) また年代別や男女別で抗体の量の平均値を比較したところ、年代・性別を問わず、同様の減少がみられました。 藤田医科大学は「ワクチンの効果が時間とともに低下している可能性を示している」としています。 一方で、藤田医科大学は、抗体の量の減少がどの程度ワクチンの効果に影響しているかは、今後

    「ワクチン接種3カ月で抗体量が4分の1に減少」 藤田医科大学が発表、ファイザー製を調査
    anhelo
    anhelo 2021/08/25
    藤田医科大、ファイザーのワクチンを接種した大学教職員に、血液中のウイルス抗体量を調査。 1回目の接種〜3カ月後の抗体量は、2回目の接種〜14日後と比べ約1/4。 接種後3カ月位で割と急激に減衰、その後少しずつ下がる
  • 拾戸(とおのへ)遠野~南部氏10番目の領地~

    あらすじ 江戸時代前期に根城(八戸)南部氏は宗家の盛岡(三戸)南部氏から転勤を命じられ、青森県八戸市から岩手県遠野市へ引越しをしました。南部宗家から交付された目録には、「拾戸(とおのへ)遠野」という記述があり、南部氏が遠野を10番目の領地として認めていたことを示しています。 1)南部氏の遠野編入 南部氏は小田原征伐以後、元領主の阿曽沼氏を家臣として遠野を治めていましたが、阿曽沼氏は関ヶ原の戦いの時期に反乱を起こし、伊達領に追い出されました。その後、城代を配置するも、うまく遠野の統治ができずに領内は無政府状態となり、秩序は大いに乱れました。伊達領との境に小友金山があり、金山をめぐって伊達藩と20年以上もいざこざが続き、遠野の統治は南部氏の大きな課題となりました。 2)根城(八戸)南部氏の遠野移封 盛岡藩初代藩主・南部利直は酒宴を開き、八戸直義を説得したと伝えられ、支藩に近い処遇を受けることに

    拾戸(とおのへ)遠野~南部氏10番目の領地~
    anhelo
    anhelo 2021/08/25
    江戸時代前期に根城(八戸)南部氏は宗家の盛岡(三戸)南部氏から転勤を命じられ、八戸から遠野へ引越。南部宗家から交付された目録には、「拾戸(とおのへ)遠野」と記述、南部氏が遠野を10番目の領地として認めていた