矢掛町宇角。前記時:三寶荒神古墳(仮)から県道35号線をさらに800mくらい北上。 美川郵便局の北東100mの棚田の中に1号墳は位置します 塚原1号墳...畦道に融け込んで判りづらい ↑クリック縦画像...手前にも石室は伸びています 開口部は玄室中央あたりの天井。 石室内部...空間は奥壁から天井2枚分で2.5mほど。 w=1.7m h=1.6m ↑クリック縦画像...奥壁は2段積み。 奥から~ 3枚目天井片側が落ち込んでます ↑クリック縦画像...withキレイに加工された天井。 さらに続く石室...ほとんど見えませんが(^ ^ゞ...あと3.5mほどあるようです(全長は6m) ↑クリック外部から...この辺りに羨道があるはずだが石垣で閉鎖されてる 塚原2号墳(?)...3号墳より東に約300m、民家の間だが庭先に犬が居て近寄れず。たぶんコレ ↑クリック別候補...50mほど東の丘にある
昔,昔,神の世界でのことです。イザナキノミコト(伊耶那岐命)とイザナミノミコト(伊耶那美命)は天の神たちから「海に漂う大地をしっかりと固めて形よくしなさい。」と命じられて下界に降りてきます。やがて,2柱の神は互いに結ばれ,淡路島を産み,四国を生み,続いて,隠岐島,筑紫島(九州),壱岐島,対馬,佐渡,本州島の8つの島を生みました。これらは大八島国(おおやしまのくに)といいます。その後6つの島を生むと,次に海の神を含めて10柱を生み,さらに,風の神や山の神などを生み続けます。しかし,火の神(ヒノカグツチ)を生んだ時,大やけどを負ってしまい,それがもとで命を落としてしまいました。。嘆き悲しんだイザナキノミコトはイザナミノミコトを出雲と伯耆(ほうき)の境にある比婆山(ひばやま)に葬りました。そして,イザナキノミコトは憎しみのあまり自分の子のヒノカグツチの首を剣で斬り落としてしまいました。。 なかな
1月28日(日)10:00-16:00福山のイチセトウチ(広島県福山市西町1-1-1 元ロッツだったビル)で開催されるdiporto FUKUYAMA主催のマルシェ『 diporto.iti vol.3 あたらしい日常と。 』に出店します。こふん弁当、古墳クッキー&竹炭スティック、炭珈琲、御領の竹炭、木酢液 ... 2021年3月に行った福山市神辺町東中条にある寒水寺周辺での古墳分布調査の際、磐座(いわくら)の可能性がある巨岩や磨崖仏(まがいぶつ)、土器片なども見つかったので、記録のため記事にしておきます。ピンクで示したのが今年の探索で確認されたもの。まず、寒水寺の南約18 ... 2021年3月、福山市神辺町東中条にある寒水寺周辺で古墳分布調査を行いました。養老2年(717)の開基と伝わる古刹・寒水寺がある丘陵は、丘陵南端周辺に迫山古墳群、南麓に白鳳寺院・小山池廃寺、弥生時代の環濠
高所にあるため1基だけPassしていた・・・・ 毎戸3号墳...2号の北上、南南西に向く尾根頂ラインに位置で墳丘は総流失 東も南も開いてる場所ですが、石室はほぼ西向き ↑クリック 縦画像...with 天井石は5~6枚(^^; 羨道方向~ 2号並みの大型石室なのですが・・・ ↑クリック 縦画像 開口部...通過は不能。羨道の天井石だけは持ち去ることができたもよう ↑クリック 天井隙間...こちらから入れます 玄室奥に d=3m(現石室全長は7m) w=1.9m h=1.7m(現状)の空間は残っており~側壁 ↑クリック 逆サイド...概ね2段~3段 巨大鏡石を据えた奥壁 奥から~ かなりスリリング(^ ^ゞ ↑クリック 縦画像...ここで止まってるがこれまたスゴイ! ↓ポイントは2号墳 ■Point_Link by GoogleMap 天井石は惨たん状態。大きすぎて運べなかったから割ったのか
時は未来、今から100年後の2114年に、古墳と歴史の街・大阪の堺市で、ハニワをかぶった女性のミイラが発掘される。 不思議なハニワ・ミイラ発掘のニュースは日本中を騒がせ、多くの考古学者や有識者がこのミイラの解明に乗り出すが、「誰が埋めたのか」「何故ハニワをかぶっているのか」という、湧き上がる謎は解けない。 時は、遡ること2014年6月の現代、ひとりの女性が堺の地に現れた。百舌鳥(もず)という変わった名前以外、いつからここに居たのか記憶が定かではない。 ただ、ここ堺という土地に懐かしさを感じ、吸い寄せられるままに辿り着いた。彼女の記憶を探る旅が始まる…。 自分は何者なのか、どこへゆけばいいのか、そんな疑問を抱えた彼女はまず、堺市役所に向かった。まずここで堺市のことを調べて、記憶を取り戻すのだ。 彼女の話を聞いてくれたのは、市役所の「シティプロモーション担当」のウラベ課長だ。この部署は堺の魅力
次に大谷古墳に行く。 大きな駐車場だなあ。 古墳にこんな大駐車場があるなんて初めてだ。 それに駐車場にはトイレ付、 模様も古代だ。 その駐車場から万葉集風の短歌の碑が建つ道を登る。 この道の突き当たりまでくると! すっ すごい! すごい古墳がある。 赤磐郡の熊山遺跡に似た石造りの遺跡だ。 説明看板も立派だ。 国の指定文化財ともなれば、いろいろ周辺整備もできるんだな。 この↑説明板に書かれていた事でちょっと気になったのが、「復元されたもの」。 五重に積みあげられた古墳は、じつは発掘調査を基に復元したものだそうだ。 古墳時代からそのまま残っていたものではない。 木棺や石棺が出た石室。 この横穴部分は古代からのものだろうな。五重の古墳にしては穴は小さい。 上から見る大谷一号古墳。 半分はロマンを感じ、 半分はダミー古墳にしおれる気になる。 考古学の先生方が認定した古墳だから、ほぼ古代時と同じよう
まず「定古墳」に行く。 栗にササゲに小豆、竹の籠、(サッシでなく)木製のガラス戸。 そしてお堂の前を通る。 前に大きな古墳が見えた。 定古墳は7世紀の「方墳」で、陶棺が10基あったそうだ。 では行ってみよう。 おおーーー、これはでかい石室だ。 この奥には定北古墳もある。 行こう。 山中にある定北古墳。 この定北古墳からは4基の陶棺が出たそうだ。 つぎ・大谷・定古墳群②大谷一号古墳 2014年10月22日
珍しい古墳があるそうで、神道山から北東側へ下りました。 高架橋は山陽自動車道です。 3月半ばで山畑には梅の香りが漂い、足取りも軽やかです。 ホオジロの囀りや足元のスミレにも癒されます。 見事な紅梅、かなりの樹齢でしょうか? 民家脇を通り、竹藪に向かいます。 竹藪を過ぎてしばらく登って行くと、注連縄が掛かっていました。 巨大な岩が二つ、夫婦岩だそうです。 仲良く、夫婦で歩くのも良さそうですね。 15分程山中を歩くと、石舟古墳に着きました。 古墳時代後期の6世紀頃に造られた横穴式石室です。 播磨の竜山石を刳り抜いた石棺で、吉備の有力者の墓と思われますが、 吉備津彦命に敗れた温羅の墓だとの伝説もあるそうです。 不思議なことに石棺にきれいな水が満杯です! 常に清水が溜まってるそうです。 昔から潮の干満で水量が変化してたそうです。 こんな山中で不思議ですよね。 吉備津という地名から、この辺りは昔は海
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