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宮本常一に関するaniyan53のブックマーク (11)

  • 宮本常一のまなざし | 往来堂書店

    1冊めは、 『宮常一コレクションガイド』 宮常一記念館 編 みずのわ出版/2017.08月刊/1,500円 + 税 宮の生まれ故郷・山口県の周防大島にある「宮常一記念館(周防大島文化交流センター)」は、開館前から“宮のまなざしが刻みこまれた”資料の保存活用に努めてきたそうです。書は、来館者の声に応えて、同館が膨大な収蔵資料の“概要を図録形式”にまとめたもの。 <はじめに、よりすこし抜粋> 宮は、時代が移り変わる中でも決して変わることのない、人と人のつながりを基盤としながら、ムラ社会が保有し続けた伝統的な規範に目を向けつづけた民俗学者であった。そして、人びとはどのようにして暮らしを豊かにしようとしてきたのか、どうすれば地域に暮らす一人ひとりが誇りを持ちながら生きていくことができるかを模索し続けた人でもあった。 〜 中略 〜 膨大な宮関係資料を網羅的に収録した資料集の編集には、

    宮本常一のまなざし | 往来堂書店
  • 宮本常一 ――歩かなければ見えないもの【連載第一回】|本のなかの旅|湯川 豊(エッセイスト)|本の話WEB

    物語化=虚構化 高知県の山中にある檮原(ゆすはら)という村は、愛媛との県境に近い。四万十(しまんと)川の最上流部にあたる四万(しま)川が流れている。その四万川のさらに上流の支流が茶ヤ谷という場所で、宮は昭和十六年の二月、流れの橋の下に小屋掛けしていた「土佐源氏」をたずねて話を聞いたのである。 自ら「乞」の身になったという男は、元馬喰(宮はばくろうと平仮名で書いている)。みなし子同然の境涯で、少年時代に馬喰の親方のところへ奉公に出た。男がいうには、「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、女(おなご)をかまう事ですぎてしまうた」。 そして男の「色ざんげ」が始まるのだが、色ざんげという言葉がもつ湿り気がない。じめじめしていない。愁いの色はあるのだけれど、情事のあったときから十分に時間が経ったせいか、すでにゆるぎのない「物語」になっている趣きがある。 馬喰という身分では寄りつきよう

    宮本常一 ――歩かなければ見えないもの【連載第一回】|本のなかの旅|湯川 豊(エッセイスト)|本の話WEB
  • 農文協の主張:2010年11月 宮本常一に学ぶ、「幸共」と内発的地域振興

  • 神奈川大学日本常民文化研究所

    2024年3月10日 ⺠具マンスリー 【新刊】民具マンスリー3月号 2024年3月10日刊行です 2024年3月7日 展示 緊急収蔵品展「奥能登の歴史と日常民文化研究所」2024年3月5日(火)~5月31日(金)開催 2024年2月28日 研究会 ■ 研究会 第138回研究会「仏教民俗の二重構造に関する問題—摩耶夫人夢物語の象モチーフを事例に—」片茂永氏(終了報告/2024年2月21日) 2024年2月22日 刊行物 『神奈川大学日常民文化研究所 年報2022』2024年2月9日刊行です 2024年2月22日 刊行物 『常民文化研究』第2巻2023 2024年2月9日刊行です 一覧を見る 2024年2月28日 研究会 ■ 研究会 第138回研究会「仏教民俗の二重構造に関する問題—摩耶夫人夢物語の象モチーフを事例に—」片茂永氏(終了報告/2024年2月21日) 2024年2月14日 共同

    神奈川大学日本常民文化研究所
    aniyan53
    aniyan53 2014/11/04
    まだ健在なのか。この研究所。
  • 周防大島文化交流センター

    <各ページに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。> TEL・FAX:(0820)78-2514 E-mail:

  • 宮本常一著作集第1巻 民俗学への道 - 宮本常一 著|未來社

    定価:体3,200円+税 ISBN:978-4-624-92401-0 ISBN[10桁]:4-624-92401-0 発行日:1968年8月27日 判型:B6判上製函入 ページ:298 Cコード:C0339 日民俗学の目的と方法 一 郷土人の意識 二 文字なき社会 三 還境と習俗 四 土地と村 五 村と伝承 六 文字と民俗 七 上層文化と下層文化の交流 八 民具と生活 九 民俗資料の分類 一〇 研究方法(一) 一一 研究方法(二) 一二 民衆社会文化の意義 一三 文化の融和性 日民俗学の歴史 一 国学者と民俗調査 二 人類学会の業績 三 「郷土研究」を中心に 四 「民族」「民俗学」時代 五 民俗調査の発達 六 民俗学研究所 七 戦後の活動 八 民俗学の体系化 九 昔話の調査 一〇 大学を中心にした調査活動 一一 文化財保護委員会を中心に 一二 女性の研究者 一三 民俗学とその周辺

    宮本常一著作集第1巻 民俗学への道 - 宮本常一 著|未來社
  • 宮本常一の部屋|未來社

    「もし宮君の足跡を日の白地図に赤インクで印したら 全体真っ赤になる程であろう」──渋沢敬三 時間にして半世紀、 約三千以上の村をあるいてきた彷徨の民俗学者、宮常一(1907-81年)。 日各地を訪ね、土地に息づく民衆の生活を掬いあげたその仕事は 『宮常一著作集』としていまも残され、 読むものにその旅を追体験させ続けている── 『私の日地図』全15巻を順次復刻刊行いたします。(1967-76年、同友館刊) 生涯の多くを旅に費やして全国各地をめぐりあるき、島嶼・農山漁村・市井に暮らす民衆の生活を記録しつづけた宮常一は、同時に、旅の記憶のメモとして写真を撮りつづけていました。その数は残されたものだけでも10万枚に及びます。 『私の日地図』は、写真とそれぞれの旅での印象を書きとめた文章を半々に配してまとめた列島紀行です。さまざまな景観・事物・光景・人びとの姿を撮った写真にその地域・

    aniyan53
    aniyan53 2013/02/22
    読みたいなぁ。
  • 毎日新聞社の本と雑誌: 宮本常一が撮った昭和の情景 上下

    10万カットから選び抜いた850カットで編む宮常一の決定版写真集 オリジナルフィルムからプリントした精細な画像で蘇る昭和の風景と暮らし。日付を追った写真構成。各年の各ページにその年の旅程。巻末には撮影地一覧の地図を示す。膨大な著作から宮常一の言葉を引用し、写真の意味と背景を克明に探るキャプション。 【上巻】昭和30-39年(1955-64) 【解説】田村善次郎<A5判>

  • 宮本常一と10万枚の写真 : 「忘れられたニッポン」を訪ねる日々

    常一写真・日記集成 金曜の晩、新宿の小さなギャラリーで行われている宮常一の写真展に行ってきた。その日は、今年3月に発売された宮常一の写真集を編集した、毎日新聞社の編集者の方やその他、写真に関わっている人たちによるティーチインが行われて、僕もそれに参加した。 宮常一は旅を通して10万コマにも及ぶ写真を撮っている。そのほとんどは昭和34年頃以降のものらしい。戦前にも結構写真を撮っていたようだが、その大半は戦災で焼けてしまった。また、戦前から終戦直後は、写真機材がまだかなり高価だったようで、それほどたくさんは撮っていない。 彼が異常なまで写真を撮りだしたのは、昭和30年代半ばから。カメラをブローニから35mmに変えて、さらにハーフ判が登場してからは、驚くばかりの量を撮っている。そして、その写真の大半が、いわゆる芸術作品でもなく、記念写真でもない、当にありふれたものばかりを撮っているの

    宮本常一と10万枚の写真 : 「忘れられたニッポン」を訪ねる日々
    aniyan53
    aniyan53 2013/02/05
    彼が使用したのはオリンパスペン。
  • 0239 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    九段高校の親友に安田毅彦がいた。高校時代は水泳部のキャプテンをして、東工大に進んでからは建築土木を専攻し、日一の土木設計集団のパシフィック・コンサルタントに入って将来を期待されたが、ソリがあわずそこを脱出、自分でフィールドワークをくっつけた設計の仕事をしつづけていた。高校のころからの数学の天才でもあった。ぼくに及ぼしたものが少なくない。 が、40代半ばで癌で死んでしまった。最後は八ヶ岳の山麓に住み、自分の小水を一晩冷蔵庫で冷やしてこれを毎朝一息に呑みほしていた。それが癌に効くという信念からだった。 その安田が宮常一を確信していた。宮常一のように歩き、宮常一のように考え、宮常一のように生きたいと言っていた。実際にも頑固な人生の後半をそのように送っていた。宮常一の“存在”を確信していたのだ。その安田に「おまえも読めよ」と言って勧められたのが『忘れられた日人』だった。 実はそれまで

    0239 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 【マップカメラ情報】民俗学の旅とカメラ | THE MAP TIMES

    「宮元常一が撮った昭和の情景 上・下」 【上巻】昭和30-39年(1955-64)解説:田村善次郎 【下巻】昭和40-55年(1965-80)解説:松山 巌 毎日新聞社 各2940円(定価、税込) 『宮常一が撮った昭和の情景 上巻・下巻』のご購入はこちらからどうぞ。 この写真集の著者であり撮影者である宮常一(1907-1981)氏は、写真家ではありません。 日中を歩き回り、各地の失われゆく伝統や風俗を記録した民俗学界の巨人です。 その足跡を赤ペンで追ったら、おそらく日地図が真っ赤に塗りつぶされるだろうというすさまじい旅ぶり。 東京発の夜行で青森へ行き、東京までくだり、次週には佐賀県にいるとか、無茶苦茶な日程が25年間、延々続いています。 その旅の上で、資料となるものや気になったものを撮るため、宮氏はカメラを常に携帯していました。 かつてはペンタックスの一眼レフを使っていたようです

    【マップカメラ情報】民俗学の旅とカメラ | THE MAP TIMES
    aniyan53
    aniyan53 2013/02/05
    そういえば、先代のオリンパスペンをメモ帳がわりに使っていた民俗学者がいたな・・・と思い出したら、宮本常一!また出てきた。
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