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広島市から岡山県新見市を結ぶ芸備線は旧芸備鉄道時代に開通した広島~備後庄原間の路線をその前身とし、国有化後の昭和11年に現在の区間が全通します。中国山地の麓から急峻な山間部を抜けて東西160kmを結ぶこの路線にも古い木造駅舎が数多く残されています。
岡山県高梁市の近代建築その7 前回、今月20日で最後の卒業式を迎える吹屋小学校を紹介しましたが、隣の学区の布寄小学校も同様に本年を持って廃校となります。この布寄小学校では昭和14年築の木造2階建て校舎が使われていました。
岡山県総社市の近代建築その3 総社市の旧市街の一角に明治期に建てられた旧警察庁舎が残されています。この建物は江川三郎八の設計により明治43年に建てられました。 総社駅から東へ約1.5キロ、古い家並みが続く旧道に沿って進むと、神社の隣に木造下見板貼りの洋風建築が見えてきます。 築100年を越え今尚健在のこの建物は、昭和34年までを警察署として使われ、公共施設として幾度か転用を重ねた後、昭和63年から現在の郷土資料館として利用されています。 煉瓦の基礎に花崗岩を重ね、下見板の外壁を廻らせます。道路に面して上げ下げ式窓を並べ、玄関は南東角に配置。玄関内部はそのまま階段に繋がり、階段室とその上の小部屋で多角形に張出した楼閣を構成します。 設計者の江川三郎八は技師として県内各地の学校建築を手がけましたが、校舎以外にも数多くの公共建物の設計に携わります。明治後期から大正期に掛けての県内公共建物の殆どが
岡山県矢掛町の近代建築その2 前回は岡山県井原市の興譲館高校旧講堂を紹介しましたが、隣の矢掛町にも同じ江川三郎八が手掛けた学校建築が現存しています。 現在は部室として使われているこの建物は、旧制矢掛中学時代の大正4年に建てられました。 木造平屋寄棟造、下見板貼りの上部を漆喰壁で仕上げた小さな建物。 南面入口に切妻屋根の庇を張り出し、東西両面には上げ下げ式の縦長窓を等間隔に並べます。 小規模な建物ですが、一連の江川作品に共通する意匠が随所に見られます。
岡山県美咲町の近代建築その2 岡山を流れる三大河川の一つ旭川は、水源の蒜山山地を発し真庭市から美咲町を蛇行しながら南流していきます。 中流域にあたるこの区間には、昭和9年の室戸台風の復興事業で架けられた鉄橋の幾つかが現存しています。今回紹介するこの江与味橋も一連の復興橋の一つとして架けられたものです。昭和13竣工。 西日本一帯を襲った室戸台風は、岡山県内にも大きな被害をもたらしました。とりわけ大雨による被害は甚大で、各地で河川の決壊や洪水が発生します。増水した河川は流域の殆どの橋を押し流し、この台風で被災した県内の橋は3,000近くに及びます。 寸断された県内の交通網を復旧させる為に、最優先で進められた橋の復興に際しては、洪水に対する万全の対策が取り入れられた橋が架けられる事となります。 復興橋の特徴として、橋を支える橋脚の間隔を広く取って増水時に流下物で橋脚間が塞がれてしまう事を防止して
岡山県美咲町の近代建築その3/岡山県真庭市の近代建築その1 前回紹介した江与味橋から上流側に約5キロ、真庭市との境に旦土大橋が架けられています。この橋も室戸台風で流された旧橋に代わる橋として昭和13年に竣工しています。 谷間に開けた小さな集落を抜けると、小山の様に大きな鉄骨フレームが視界に迫ってきます。対岸との間に橋脚を設けず、80メートルの大きな橋桁によって川を一跨ぎするこの橋は、旭川に架けられた橋の中で最大級の支間長を持つ道路橋です。 長大な桁を支持する為に巨大なトラス構造となっています。川幅の広い河口近くを大きなトラス橋が渡る景色は珍しくありませんが、山深い小村にこれだけの規模の橋が架けられている光景は鮮烈な印象を受けます。
岡山県備前市の近代建築その4 三石から幾つもの峠を越えて北方向へ、山の中の小さな集落に古い郵便局が建っています。昭和12年に建てられたこの建物は木造の局舎としては数少ない戦前築の現役郵便局です。 備前市の北端、美作との国境に位置するこのあたりは、古くは山岳仏教の拠点として栄えた歴史を持つ程に山深い地です。日本の原風景さながら、のどかな景色が広がる山村の集落の中に平屋の局舎が建っています。 この付近は集落の中心部と言えなくもないのですが、商店や公共施設が並んでいる訳でもなく、郵便局だけが畑の中にポツンと建っている、と言った方が正しいかもしれません。薄いピンク色に塗られた局舎が美しい景色に溶け込んでいます。
備中の鉄道遺産その1 山陽道の中央に位置する岡山は、明治半ばより近畿、九州、山陰を結ぶ路線が県内に廻らされ、昭和初期には瀬戸内沿岸から中国山地の奥地に至るまでの広範な鉄道網がほぼ完成されていました。 岡山県の西半分を占める備中地区も明治24年に山陽本線が延伸され、その後米子を結ぶ伯備線や播磨、広島北部を結ぶ路線が整備されていきます。 昭和初期に完成した備中の鉄道路線は、主要幹線である山陽本線を除くとその殆どが長閑な田園地帯や山合いを走る区間で占められ、70年以上を経た今も昔ながらの風景の中に開業時に遡る古い駅舎や橋梁が数多く点在しています。 岡山備中の近代建築探訪はこれら備中に残る鉄道遺産廻りからスタートします。 岡山の北西部の拠点新見市から広島県北東部を経由して広島駅へ至る芸備線は総延長160キロに及ぶローカル線で、長距離路線でありながら全区間を結ぶダイヤを持たない事、優等列車が廃止され
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