(四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一本に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送
対外的な聞こえはいいがその実ただのブラック会社を辞めてちょうど1年 10年勤めて心がすっかりすり潰されてしまい 次の当てすらなくただただ辞めたいという一心だけで辞めた 上司や同僚からは後悔するぞと脅されたり、これから大変だなと憐れまれたりもしたし どの転職サイトを見ても次を決めてから辞めるべきと書いてあって余計焦ったが、幸運にもすぐに次が決まり失業手当をもらうこともなく再就職がかなった 前職とは全く違い職種で手取りは前職とほぼ同じかわずかに低いが、残業はごくまれでそれも20〜21時頃までがせいぜい 週休2日で休日出勤があれば確実に代休がとれるし休日手当も出る そんな環境だと自然と勤めてる人間にも余裕が生まれるのか社内の雰囲気は穏やかで 理不尽に大量の仕事を丸投げされることもギスギスした人間関係に悩まされることもない これが当たり前の社会人生活なのかもしれないが自分にとっては全てが新鮮だ 思
昔のものが再ブレイクするってよくある話だと思うんだが ちょんまげが全国でファッションブームにならないもんかなぁ
私は子供だったらしい。 らしい、というのは私には子供だった頃の記憶が無いからだ。 突然記憶が途切れたのではなく、時間とともに忘却してしまったのだと思われる。 だから親に「はじめまして」と言うタイプではない。私にとって親は昔からオンリーワンだ。 子供の頃の私が分からないから、どういうテレビ漫画を好んでいただとか、どんな音楽が聴いていたとか、そういう話が全くできない。 私の実家は小さく、私に関するモノは殆ど残されていない。 親から聞いた話によって、私がどんな子供だったかを知ることがある。 まず、相撲が好きだったらしい。昔は大柄で、「大きくなったら御相撲さんになりたい」などと宣っていたようだ。 大会でもそれなりの成績を残したということを聞かされている。 また、本が好きだったことも分かっている。家の押入れに、私が読んだと思われる本のリストが入っていた。 今では本など全く読まないのだが、当時は推理小
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く