やまきゅう @ycums キズナアイが提示した 「バーチャルYouTuber」という概念は、ゆがめられ、形骸化しまくって、もはや歴史の教科書的な過去の概念でしかなくなっていて、ガンダム的に言うならF91の時代の「ニュータイプ」くらいもう跡形もない。 2024-01-28 18:01:05
![「VTuberの概念は形骸化した」と言われがちだが、最初に概念を曲げたのは元祖のキズナアイで、ライバーの延長になるのは既定路線だったかもしれない話](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1cc8b177c9d49cd3add8857501eaa87ed5e8c47/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F4f44ec763e590d05039154d7afce0b2c-1200x630.png)
自分の中だけの【概念】 自分の中に『壁に絵を描く』という概念がある。概念の元になったものは、紅玉いづき先生の「ミミズクと夜の王」に出てくる、牢にずっと閉じ込められてその牢の壁に自分の血でずっと絵を描いていた少年と、そして実在のアウトサイダーアーティストのヘンリーダーガー。彼は自分の住んでいる屋根裏部屋の壁に自分のための物語を誰にも知られずに書き続けた。 タイムパラドクスゴーストライターで提唱される透明な傑作の対照にある『壁に絵を描く』 そんなふうに創作をできるようになりたい。自分はやはり誰かに見て欲しい。自分にとって創作は会話(コミュニケーション)なのだと思う。鍛錬鍛錬。 結局自分は、何かを作ることでしか、誰かと交流や、自分自身を伝えることはできないのだ。と、なにかあるたびに思う。 その度に孤独を感じでどうしようもなくなるけれども、そうなってしまったのだからどうしようもない。 作ったものを
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