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表現の自由に関するanselのブックマーク (2)

  • BE FREE! - 地を這う難破船

    id:md2tak  よく考えれば、被害者が自身の行動・思考について内省する自由を侵害するようになる可能性もあるなぁ。そんなこと考えてもいないんだろうけど。 はてなブックマーク - Non-Fiction(Remix Version) | [ツッコミ]にしては底が浅い 「もっと気軽に女が男をレイプできる世界になると良いね。」「性別に関係なくみんな気軽にレイプできる社会が来ると良いですね。」という別の人の発言も目にした。その人は「表現の自由」の旗幟に立つ論者だった。別れたい……ではなく。――md2takさん。 「自由」とは差別の撤廃と同時に達成されることであり、また達成されてきたことです。そして、当然のことながら、この社会では達成されていないどころか「遠い夜明け」でしかない。だから、言うまでもないことですが、陵辱表現の商業的流通と――ミニスカートがそう指されるような――「女性の自由なファッシ

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  • 「暢気」な社会とヘイトスピーチ - 地を這う難破船

    既に旧聞に属するかも知れないけれど、ヘイトスピーチ規制論について話題になっていたので、少し書いてみる。一連の東氏の議論と、たぶんド真ん中で関係ある話なので。 ⇒革命的非モテ同盟跡地 カントは偉大であるけれど、歴史存在としての人類社会において言論や表現はアプリオリに自由ではない。だから、ヴォルテールの原則は重要なのであって、300年前、カントに30年先んじて生まれたヴォルテールは言論や表現がアプリオリに自由であるとは微塵も考えていなかった。 私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命を賭けて守る。 ヘイトスピーチの問題とは、アプリオリに自由な行為としての言論や表現と、歴史的かつ原理的にもアプリオリではありえない言論/表現の自由を担保する私たちの――かつての村上春樹の言葉を借りるなら――「開かれたサーキット」の両立可能性を問う、市民社会ある限りその臨界として指し示される課題

    「暢気」な社会とヘイトスピーチ - 地を這う難破船
    ansel
    ansel 2008/12/25
    言論/表現の自由とはアプリオリな原理でも自然の摂理でもない。社会の構成員の選択の結果として更新され続けるもので、選択のためには私たちはそのとき限定的にも市民的存在たる「人間」を務めなければならない。
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