ブックマーク / dochikushow.blog.fc2.com (6)

  • バカから金毟るのは見ていて不愉快ですね 島国大和のド畜生

    結局、世の中バカから金を毟るのが一番早い。 なにしろバカだから金を毟りやすい。 そして、利口な奴よりバカの方が数が多い。 利口な奴は、しょーも無いものには金払ってくれないしね。 そしてこういうのは「品が無い」。 脱社畜周辺とか、嫌韓周辺とか、カツマーとか、ゲーセン少女とか、ちきりん周辺とか、ハックル先生周辺とか。あとなんだっけ。 結局、バカに「そのままでいいよ」というか「こうすれば私みたいになれるよ」というか。あと「何も考えなくていいよ」か。 宗教や自己啓発のパターン。 天然ならば仕方が無いが、最初から騙すつもりであるなら結構不快かもね。 商売としてはとても正しいのだろう。 宝くじやら、パチンコ屋やら、ソシャゲ屋のように。 1000人信者を捕まえれば、キチガイ呼ばわりされても勝ち組というtweetをどこかで見たが。 ページビューを稼げばどれほど、バカ呼ばわりされようと、嫌われようとそれは

  • 子供が如何にプラスを与えてくれるか。 島国大和のド畜生

    子育てを行政が全く支援しない(正確には古い旧態依然とした仕組みのままで、今の子育てに合っていない。予算は使ってるのに必要な人に届かない)事に対する不満エントリを書くと、これから子供作るかと思っている人を怖気づかせてしまうかもしれないので。 いい話も書く。自分の中のバランスとり。 ■子供で大変な事は慣れる 泣く喚く騒ぐ。空気を読まない。所構わずゲロを吐く。ウンコする。 これは酔っ払いや、ボケ老人を思い浮かべると良いと思う。まさにアレだ。 そしてそれが24時間体制。 自分も第一子が出来た時、正直これが3年続くのは耐えれないんじゃないかと思った。(3歳になるとオムツが外れるから多少マシに) が。慣れる。慣れてしまう。人間と言うのは慣れる生き物だから。良くできている。 子供をフロに入れたり、オムツ替えたり俺には出来ないんじゃないかと思って居たがどうにかなった。 自分の時間が無くなるんじゃないかと覚

  • 俺がゲームを作る際の考えかた。 島国大和のド畜生

    ゲームの大枠が決まったら。 ①ミニマムの快感を考える。 テトリスならスポッと嵌った瞬間。 カーレースならコーナリングの気持ちよさ。 シューティングなら弾幕避け。 格闘ゲームなら攻撃がヒットする気持ちよさ。 FPSならヘッドショットの快感。 自分は、この「ミニマムの快感」が一番大事派。ココさえ成立させてれば、後は装飾だからどうにかなる。 装飾ってのは、予算があれば当になんとでもなる。(そういう派) ②最終的な快感を考える。 RPGならボス倒す。 格ゲーなら、強くなる。 ミニマムな快感の積み重ねの後の最終目的。 これをどれぐらい、ミニマムの快感から遠いところに置くかで、ゲームの難度、ボリュームが決まる。 ③ミニマムの快感と最終的な快感の間をどう繋ぐかを考える。 ぶっちゃけ、最近のゲームは最終的な快感が遠い。だって仕方が無いじゃないボリュームの少ないゲームはすぐ中古行きだし、ネットゲだったら

  • パクリやらオマージュやら 島国大和のド畜生

    この辺、開発会社の問題でもあるんだけどそこまでは普通の人は突っ込んで考えないだろう。 いっちゃ何だがソーシャル市場というのはそういう市場だ。 誰がそのゲームを作ったかに興味なんか無い。一番儲けてるのはプラットフォーマーだしね。 かつてゲームはその制作者にスポットが当たり、制作者だって後ろから刺されたくないから頑張って良いゲームを作ろうとした。パクリは出来ぬ。 ソーシャルゲームが話題に上る時は、こんなに会員がいる。こんなに儲かる。そういう話ばかりだ。ゲームを作ってる奴の顔が見えない。ときどきドヤ顔したマーケや運営の人の顔がwebや紙面にでて来るが、かれらはプレイヤーに向かっては語らない。 それが商売として成功しているのだから文句を言っても始まらない。 「あそこに良い畑があるぜ」 「よし、火を付けにいこう!」 そういう焼き畑農業だ。いつまでもこの市場があるとは限らないんだから早く焼き尽くした方

    aoneko---00
    aoneko---00 2011/05/08
    んーやっぱりぼかぁ、こっちサイドで仕事している人達を応援したいかなぁ。少なくとも何かしら作ってる人に対するリスペクトがあるので。
  • 震災後原発問題に関してスタンスを明らかにしておこうと思った。 島国大和のド畜生

    あくまでも自分のスタンスの話だが。 「安全です派」vs「危険です派」 の闘いには基的に興味は無い。 「安全か危険かは、自分で判断する。だから情報を寄こせ。」 それが自分のスタンスだ。 現時点ではまだ自分が疎開する程の危険は感じていないので、東京近郊で働いている。 なので「安心です」と言われても「危険です」と言われても、特に自分の行動は変わらない。 再度述べる。 「安全か危険かは、自分で判断する。だから情報を寄こせ。」 今の危険性に関しては即逃げる程の危機意識を抱いていないが、最近blogで震災のネタに振れる時は悲観的な言説が多めとなっている。 なぜか。 自分が東電や政府に不快感を示すのも、今この瞬間の危険性の話ではなく、長期的な事を問題にしているからだ。 それも放射能被害だけではなく、日ブランドの価値低下などの、今後稼げなくなる事に対する危機感だ。 放射能より余程タチが悪い。稼ぎが減る

    aoneko---00
    aoneko---00 2011/04/08
    「責任を取らないように危機回避能力だけで偉くなった人間は。本当に責任を取るべき時に逃げようとする。」こういう人いる(笑)なんて身内で笑えればいいけど、そんな人間が他人の命を左右する場にいる悲劇?喜劇?
  • 日本の組織とその限界と 島国大和のド畜生

    東日大震災の気分的総括について 切込隊長さんが非常に面白い書き方をしていたので。 自分にとってもこの危機的状況はまだ始まったばかりで、この後も転がり続ける。 自分が今持っている悲しみや不安が払拭されることは当面無いだろう。 そういう状況なのでもうちょっと狭いところの話を。 我が国の組織や制度運用についての側面で、東京電力はひとつのモデルケースとなりました。簡単に言えば、現場から離れている人が昇進するため、問題が起きたときに組織として対処する能力を著しく欠く、という構造的な欠陥であり、例えばこの問題が他の大組織で起きたとしても、やはり同じように右往左往して問題の解決に至る道筋は遠かったのではないかと予見されます。 これは自分も最近よく考える。 ・偉い人は現場仕事をした事が無い。 ・技術と知識は現場が持っている。 ・何かあった時、偉い人では対処が出来ない。 ・現場は偉い人が何をどうなしたいか

    aoneko---00
    aoneko---00 2011/04/05
    恐らく日々きつめの現場で仕事をこなしてるであろう人の組織論は、説得力というか体温が籠ってて考えさせられる。
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