沖縄返還前の姿を見ておこうと昭和46年<1971年>12月16日 パスポート代わりの日本政府・総理府発行の身分証明書を持参して RYUKYU GOVRNMENTを訪問した。 身分証明書には「本土と沖縄との間を旅行する日本人であることを 照明する」内閣総理大臣と印刷されていた。 当時の沖縄の国際通りは正に外国風景、タクシーは基本メーターが 20セントだ。ちょっとそこまで行くのもタクシーに乗った方が 靴が傷んで修理するより安い時代だ。メイン大通りには電柱などは 見当たらない。いつでも航空機が着陸できるようの為だ。 当時の繁華街は波の上で、キャバレーなど華やかな雰囲気の 場所だった。ウイスキーのホワイトホースが1本5ドル、 波の上で水割り飲んでも1杯1ドルだった。 日本を発つとき持ち出しのドルは身分証明書に書き込んだ。 琉球、今思い出すと不思議な感じを思い出す。 大阪南の千日デパート火災は当時未
※この記事は筆者がかつて書いたものをnoteに移したものになります。ご了承ください まずは、この度の京都アニメーションの放火事件で亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々の一刻も早い快復を祈念いたします。 まだ事件の全容が明らかになっていない中でこのような記事を書くのも心苦しいのですが、「だからこそ」と思い、執筆いたしました。 今回の事件ですが、犯行に多量のガソリンが用いられたため、「こんなもの防ぎようがない」という意見が多数を占めているようです。 現に私自身そう感じていますが、しかしそこで思考を止めることが正しいとは思えません。 仮に0.1%でも助かる確率が上がる方法があるなら、それを考えておく必要があると思うのです。 そして今回の件を考えるにあたり、あらためて火災というものを考え、リサーチをしてみましたが、自分のモノの知らなさ、考えの至らなさに愕然としました
「13日の金曜日」なんて、キリスト教徒でない身には、ふだんの日常と何の変りばえもない。そう思って新聞を読んでいたら、50年前のこの日、この国のビル火災史上、最多の死者118人を出した大阪の「千日デパート火災発生の日」だと気づきました。 とたんに忘れていたあの日の出来事が、大波のように押し寄せてきました。あの大火災をいちばん乗りで現場に駆け付け、炎と猛煙のなか、チャイナドレスのホステスたちが、つぎつぎと七階の窓から飛び降りて、即死する凄惨な場面を、なすすべもなく、目撃したのです。 また、むかし話かと思わないでください。昔話は年寄りの唯一の得意技なんです。 あの晩、午後十時半ごろだったか、夜討ちに出ようかと、仕事場の大阪府警本部の廊下を歩いていたら、「千日デパートで火事!」という110番を通報を聴いた。同デパート七階建て。六階まではでテナントやスーパーが入り、七階はアルバイトサロン「プレイタウ
神戸8人死傷集合住宅火災 生活困窮者の「頼みの綱」 狭い居室、防火に課題【大型サイド】 22日の火災で8人が死傷した神戸市の集合住宅は、生活保護を受給する高齢者が多く身を寄せていた。保証人不要で家賃も安い物件は生活困窮者の「頼みの綱」だが、運営費用を抑えるため狭い居室が密集し、防火対策が不十分との指摘もある。過去に同様の建物で多くの人が犠牲になった。有識者は、生活困窮者の住宅問題は民間任せで、行政の取り組みが進んでいないと批判する。 兵庫県警や入居者などによると、現場は1963年築の3階建てで、各フロア約100平方メートル。計31の居室が並び、いずれも3、4畳の「一人寝たらいっぱいの広さ」(入居者)。火災報知機や消火器は設置されていたが、スプリンクラーの設置義務はなく、実際に導入されていなかった。足が不自由な人や要介護者もおり、焼け跡からは車いすが見つかった。 生活困窮者が暮らす共同住宅や
三月一九日に発生した火災で一〇人が死亡した、群馬県渋川市の高齢者入所施設「静養ホームたまゆら」の事件。詳細が明らかになる につれ、単なる火災ではないことがわかってきました。亡くなった一〇人のうち六人が東京・墨田区、一人が三鷹市から生活保護を受けていました。また、施設 にいた二二人中一五人が墨田区の紹介で入所していました。「起きるべくして起きた。都政が高齢者福祉を切り捨てた結果だ」という声も。なぜ入居者たちはこ んな形で命を失うことになったのでしょうか。 「無届け施設」での被害 「たまゆら」には、認知症や障害があり、生活支援の必要な人たちが入っていました。違法な建て 増しを重ね、施設の構造が複雑だった上に、スプリンクラーなどの防火設備はありませんでした。生活の場は三棟に分かれていましたが、当直の職員は一人だ け。認知症の人の部屋に外からカギをかけていました。 本来は有料老人ホームにあたる施設
火災があった集合住宅で現場検証する捜査員=神戸市兵庫区で2023年1月22日午前7時20分、滝川大貴撮影 神戸市兵庫区の集合住宅で22日未明に起きた火災。現場の「第2ひろみ荘」は、寄る辺のない高齢者が身を寄せる「セーフティーネット」でもあった。当時、何があったのか。寝間着姿のまま難を逃れた住民らが証言した。 3階の自室でゲームをしていた男性(65)は、鼻を刺す臭いで異変に気付いた。部屋を出ると、同じ階の住人も廊下にいる。その住人が「火事だ!」と叫び、初めて火災が起きたと知った。 備え付けの消火器を持ち出し、外階段を一気に下りる。地上にたどり着くと真っ赤な炎が見え、1階が燃えていた。恐怖心を抱き、腰が引けた。消火しようとしたが、「焼け石に水」で火は収まらなかった。別の住人が火の中に飛び込んで高齢の住人を救出していたものの、命が助かったかどうかは分からない。
1982(昭和57)年2月8日、午前3時39分。その火災の第一報は、タクシー運転手からもたらされた。ホテルニュージャパンが燃えているというのだ。 はいはい、それじゃ~出動しましょう。……などというお気楽なノリでは決してなかったと思うが、しかし、消防隊員の誰もが思いも寄らなかったに違いない。この火災が、まさか後世まで語り草になるほどの「伝説の火災」になろうとは――。 1980年代。消防法も改正され、かつてろくでもない旅館火災やビル火災が相次いだ10年前から見れば、日本の建築物は遥かに安全になっていた。まして、ホテルニュージャパンは東京都の一等地・永田町に建つ超豪華ホテルである。一昔前のような大惨事など起こるはずもない。 ところが、である。現場に接近するに従い、隊員たちの悪い予感は募った。国会議事堂の向こうの空が真っ赤に染まっている。 おいおい、何年か消防やってるけどこんな光景見たことないぞ―
17日午前、大阪 北区の繁華街のビルで起きた火災で28人が病院に搬送され、このうち24人の死亡が確認されました。 警察はビルの中にあるクリニックを訪れた50代から60代くらいの男が火をつけたとみて殺人と放火の疑いで捜査本部を設置しました。 捜査関係者によりますと、男は病院に搬送されて治療を受けていて、容体はかなり危険な状態だということです。 17日午前10時20分ごろ、大阪 北区の曽根崎新地で「ビルの4階が燃えている」と複数の人から消防に通報がありました。 警察と消防によりますと、火元は8階建てのビルの4階部分にある心療内科と精神科などが専門のクリニック「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」とみられています。 消防車80台が出て消火活動にあたり、およそ30分後に火はほぼ消し止められ、ビルの4階、25平方メートルが焼けたということです。 警察によりますと、この火災でこれまでに28人が病
小幡友美@超会議クリエイタークロス @station_tm 明日、明後日のリア凸待ちについてですが 6日(土)は新木場公園もしくは夢の島公園にて16時半~18時半頃 7日(日)は新木場駅付近にて10時半~11時半頃の予定です! それ以外の時間は若洲海浜公園にいる予定です。そちらにリア凸したい場合は公園内キャンプ場付近に到着したらDMください\(^^)/ 小幡友美@超会議クリエイタークロス @station_tm キャンプ場内は他の方のご迷惑になる可能性があるので、こちらから伺いたいと思います! ただし、BBQの火を扱っている場合などキャンプ場を離れられない時間がありますので、ご了承くださいーm(__)m また、20時半以降はリア凸禁止とさせていただきますm(__)m
hamlife.jp > ニュース > トピックス > <火災発生! 他人事で済まされない恐怖の体験談>過充電が原因か? 中華ハンディ機が突然発火、炎は天井まで…一歩間違えれば大惨事に 「突然、中国製の無線機(中華ハンディ機)が発火し、炎が天井まで届く火事になった」「気付くのがもう少し遅れていたら、今頃死んでいたでしょう」という書き込みがTwitterで注目されている。恐怖の体験をしたのは東京都内のマンションに住む「7N3RLX_Yokohama RL12」さん。最初のつぶやきは2020年6月1日の午前9時34分、「家が火事になりました。中華ハンディが発火。消火器で消したが、火災報知器鳴って消防署の現場検証が大変でした」というものだった。hamlife.jpではご本人に連絡を取り、手記を執筆していただいた。リチウムイオン電池などからの突然の発火は生命や財産に重大な危険をもたらすことがある。
京都市の「京都アニメーション」のスタジオが男に放火された事件で消火活動に当たった京都市消防局が22日、市議会で状況を報告し、現場の建物では十分な防火対策がとられていたと説明しました。消防局はそれでも大きな被害が生じた詳しい状況を検証し、今後の取り組みに反映させるとしています。 この中で山内博貴局長は「全力をあげて現場活動を実施し、夢と希望、将来をもった方をなんとか救出したかったが、多数の死傷者が出てしまい、大変残念だ」と述べました。 そして、現場の建物の防火対策については、去年の査察でも法令違反はなく、防災訓練も適切に行われていて、十分な対策がとられていたと説明しました。 建物内部にはらせん階段がありましたが、煙が上がるのを防ぐ「垂壁」と呼ばれる設備が法令に基づいて、設置されていたということです。 平成26年には防火対策をしっかり行っているとして、消防から表彰されたこともあるということです
今回の事件で現場のスタジオの中にいて、出火後に避難した男性社員が、NHKの取材に応じ、当時の状況を証言しました。 男性によりますと、1階で誰かが言い争うような声がしたあと、女性の悲鳴が聞こえ、突然「ドーン」という大きな爆発音がしたということです。 2階に上がってきた男性社員が「火事だ」と叫び、近くにいた女性社員が非常ベルを押しましたが、まもなく、らせん階段からきのこ雲のような煙が上がって来たといいます。 煙は墨汁のような黒さで、あっという間に近くにあるものも見えなくなり、呼吸が苦しくなったということです。 男性がほかの社員とともに2階にあるベランダに避難すると、後ろから熱風が吹きつけ、あちこちから「助けて」という声が聞こえたといいます。 ベランダにいると「大丈夫だ。飛び降りろ」という声が聞こえたため、ほかの社員とともに1階に飛び降り、着地した際に腕にけがをしましたが、消防に救助され病院に搬
今町会館ビル火災(いままちかいかんビルかさい)とは、1978年(昭和53年)3月10日午前0時過ぎに、新潟県新潟市古町(現中央区)にあった雑居ビル「今町会館ビル」(鉄骨造、3階建、延床面積341.9平方メートル)で発生した火災である。 死者11名、負傷者2名に及ぶ被害を出した。 建物は新潟市一の繁華街でもある古町の裏通りにあたる東新道にあった。火元は3階建てのビルの2階にあったスナック「エル・アドロ」の出入り口付近だった。出入り付近にはちょうどスポットライト用の電源コードがあり、これが天井裏で漏電により出火し、天井の合板へと燃え広がったものである。 当時店内には客20名と従業員の3名がいた。このうち調理台付近にいた従業員が火災に気づき、1階の割烹に消防署への通報を要請した。従業員からの報告ですぐにスナックの支配人も消火を試みたが、火の勢いは収まらなかった。 内装用に使われていた可燃性の壁装
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