写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。 皆様の子供の頃には炊事のための燃料や風呂釜の燃料は何だったのでしょうか? 昭和時代の仙台市の生活を支えていた薪や木炭の他に亜炭という不思議な燃料がありました。 その亜炭が戦後の経済成長とともに跡形も無く消えてしまったのです。 それは故郷の仙台市の向山という地区のことです。その地区には戦前戦後にかけて東洋館、鹿落温泉旅館、いかり亭、蛇の目寿司、広瀬寮、観月亭、黒門下の湯などが存在していました。 この地区の番地には越路路地丁という地名があり、長徳寺や大満寺というお寺もあります。 その長徳寺の前のバス通りに沿って3つの沼が並んでいて、そこで私は小ブナを釣ったりオタマジャクシを捕って蛙にさせたりして遊んだものでした。 昔の滝の口渓谷の下流の川になっていたところで窪地になっていた場所なので沼
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