無念の思いを伝えたい ――新井俊一郎さんに聞く―― 生年 昭和六年(一九三一年)十一月生まれ(インタビュー時 七十五歳) 被爆当時 十三歳(広島高等師範学校附属中学校一年生) 被爆地 当日午後、東大橋から入市し、爆心から二キロ以内の段原大畑町・比治山下を歩いて出 汐町の自宅へ帰る。翌日、爆心より一・四キロの東千田町の学校へ行く) 育った家庭のことなど 私は埼玉県の出身で、昭和十五年十一月に広島に来ました。父が広島師範学校の教師として広島へ転勤になったからです。それまで山形、大分、両親の故郷である埼玉県の秩父と、病弱な父に従って転々としていました。敗戦直後に一時、秩父に帰りましたが秋には広島に戻り、それ以降はずっと広島です。 小学校二年生まで秩父で過ごしました。当時の子供はわらじばきの着物姿で、私だけが洋服だったし、大分市から秩父へ帰ったので「街から来た子だ」と