タグ

言葉と福祉に関するarajinのブックマーク (7)

  • 庵功雄『やさしい日本語 ――多文化共生社会へ』(岩波新書)を読んで|小池陽慈

    不勉強にして、〈やさしい日語〉という考え方を知ったのはつい数年前のことだ。 日語を母語としない人々とこの社会で共に生きるために用いる、日語非母語話者にも理解しやすい表記や言い回しへと調整された日語。 例えば、文節に分かち書きをしたり、ルビをふったり、抽象的で難解な語句を具体的にわかりやすく言い換えたり(以下はNHKが2012年から開始したサービス「NEWS WEB EASY」)。 最初この〈やさしい日語〉という考え方を知ったとき、僕の脳裏に浮かんだのは、(ああ、こうしたシステムがあったら、確かにこの社会で暮らす日語を母語としない人々は、助かるだろうなぁ…)という思いだった。そして、(今後ますますこの国には日語非母語話者が増えていくだろうから、そのような人々のためにも、ぜひ広めていかねばならない考え方だなぁ…)と。つまり僕が思ったのは、 日語非母語話者の"ために"、ホスト側の

    庵功雄『やさしい日本語 ――多文化共生社会へ』(岩波新書)を読んで|小池陽慈
    arajin
    arajin 2023/07/05
    「〈やさしい日本語〉は、「障がいをもつ人」の社会参画を保障し、彼らが「平等な競争」の場へと上がることを可能とする。」
  • 「貧困」という言葉を誤解していたらしい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「実家が太い」と言ってしまっていいと思うのだが、私は貧しさと無縁な生活を送ってきた。無縁というのもちょっとちがう。いろいろな局面で貧しさと隣り合わせになりながら、そこにつきものの苦しみから質的に遠いところにいた。事業がうまくいかなくなって畳むときには現金が足りなくて当に困ったが、それでも三度の事を欠かすことはなかった。定収入なしで結婚したときも、どうにかなると思っていたらどうにかなった。不景気の風が吹いて仕事がなくなったときにも、安い給料でかまわないやと思ったら雇ってもらえるところがあった。実家が太いと、「親の老後のために貯金をしとかなければ」というプレッシャーがない。子どもができていろいろと金がかかるだろうといっても、高価なものは頼まなくてもやってくる。祖父母の楽しみなのだから、そこは譲ってもかえって親孝行ぐらいなものだ。結局、自分がべていければそれで十分であり、べるだけなら1

    「貧困」という言葉を誤解していたらしい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 絵文字が難民や移民を救うフランス、「言葉の壁」超える新たな国際語 支援団体が活用:朝日新聞GLOBE+

    右はフランスの難民支援NGOで働くテア・ドログレスさん。左は彼女たちが運営するWhatsAppの支援ページの画面。利用者とのやり取りでは絵文字が活用されている=いずれも目黒隆行撮影 支援を阻む「言葉の壁」 カフェや花屋、多国籍料理の店などが軒を連ねるパリ11区の一角。10月の朝、「BAINS-DOUCHES」の看板を掲げた施設を訪ねると、近くで暮らす路上生活者が次々と集まっていた。 直訳すると「お風呂とシャワー」。市が管理しており、1、2階には、誰でも無料で使えるシャワーブースが並ぶ。木製の扉を開いてブースに入ると手荷物が置けるほどの小さな棚が一つ。その奥の1畳ほどのスペースで温かいシャワーを浴びることができる。利用時間は1人1回20分まで。ブースは全部で50ほどあるが、時折順番待ちになるぐらい、利用者が集まっていた。 歯磨きをしていたコートジボワール出身という男性は「こういう場所が近くに

    絵文字が難民や移民を救うフランス、「言葉の壁」超える新たな国際語 支援団体が活用:朝日新聞GLOBE+
  • 『「もちろん売名だよ」杉良太郎の痛快すぎる福祉論』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    『「もちろん売名だよ」杉良太郎の痛快すぎる福祉論』へのコメント
  • 24時間テレビの裏で、NHKが障害者による感動演出「感動ポルノ」に疑問を投げかけるという攻めた番組「バリバラ」を放送していた!

    NHK広報局 @NHK_PR 【30分テレビ】 「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトの番組 #バリバラ 。 “障害者を描くのに感動は必須か?”など生放送 でお送りします。 @nhk_baribara で当日ご意見を募集。 28(日)夜7:00 #Eテレ www6.nhk.or.jp/baribara/ 2016-08-26 17:40:03

    24時間テレビの裏で、NHKが障害者による感動演出「感動ポルノ」に疑問を投げかけるという攻めた番組「バリバラ」を放送していた!
  • 「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 裏番組のNHK生「バリバラ」に大反響

    「Eテレが気出してる」「バリバラ攻めすぎでしょ」――視聴者からそんなツイートが相次いだのは、日テレビの「24時間テレビ」の裏番組として、NHK Eテレが2016年8月28日に放送した「バリバラ」(19時00分~30分)だ。 24時間テレビをパロディー化して笑いのめしながら、障害者を「感動」の具とする「感動ポルノ」に、障害者自身も含む出演者たちが異を唱える。そんな野心的な内容は、ツイッターで番組名が「トレンド」に入るなど、大きな反響を呼んでいる。 「検証!『障害者×感動』の方程式」 障害や難病を持つ人が、さまざまな難題に挑戦する――そうした「感動的」な企画は、24時間テレビのまさに十八番だ。2016年も、下半身不随の少年の富士登山や、目や耳の不自由な生徒たちのよさこいなど、こうした企画が多数放送された。 しかし、障害者情報バラエティーをうたう「バリバラ」では、同じ28日のオンエアに、「検

    「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 裏番組のNHK生「バリバラ」に大反響
    arajin
    arajin 2016/08/29
    「感動ポルノ」「ステラ・ヤングさん(1982~2014年)が唱えたもので、障害者を、非障害者などが感動するための「モノ」として扱うような行為を指す言葉だ。」
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ
    arajin
    arajin 2016/04/02
    「日本人死ね」ではなく「日本死ね」なのは政府への呪詛だから。「日本」はお上を表しているので自分は含まれない。
  • 1